2017/12/06

ヤバいくらいに

体力が落ちている。
身体とココロって連動しているから、つまり精神の耐久力や瞬発力もヨレッとなりやすい。

や、筋トレのための筋トレは興味ないんだけどね。それでも、こうして「弱っている」と批判的なムードにとらわれると、ふとしたハズミで自虐の連鎖にハマってしまう危険大。

一昨日、テルメ小川で温泉につかってきた。ホントはいろんなバランスのために、すぐそばの薬草園に寄りたかった。あいにく、工事中で休園。温室の可愛子ちゃんや、花壇や畑、林の子たちに会いたかったなあ。

最近は、海水温熱ヒーリングを月一くらいで受けているおかげか、温泉につかっているときに感じる「身体の奥の冷え」みたいな感じが、皆無ではないものの、そういう体感も含めてのいまこの瞬間な自分、という手ごたえで、なんだかやけに心地よかった。安心感というか、いいお守りをもらったというか。

で、その夜は妙に……夜中に目が覚めてそのまま明け方まで寝付けなかった。次の夜、つまり昨夜はさらに極端。九時頃に強烈な眠気におそわれ、そのまま就寝。目が覚めたら丑三つ時。やはりそのまま寝付けず、明け方に就寝。そのまま昼前まで一気に二度寝な熟睡。

そりゃあね。寝る前に「睡眠って大事だわあ」と、眠りの世界に感謝の気持ちを送ったけどさ。効きすぎ。

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2017/12/03

ドレンスキーのレッスンを受けた話

いまから20年……いや、それよりわかりやすく、ワタシが27歳だったとき。なんで憶えているかというと、そのときドレンスキーが「あなたはお幾つか」と、ダイレクトに訊いてきたから。

もう少し若いと思われたのかもしれないし、それでもワタシが「やーでも、まだ年齢制限オッケーですから、チャイコフスキーコンクールとか出てみたいんですけどー」と、重ねてアプローチすれば何かが起きたのかもしれん(笑)。が、そういうあれこれは、この記事の本題ではないのでいまんとこ保留。

セルゲイ・ドレンスキー教授。モスクワ音楽院の有名(だったなあ)ピアノ教授。あと十年早く出会っていれば、もしかするとフランスではなくロシアに留学したい!とか思ったかなあ。うーむー。あのときのレッスン内容は興味深くはあったけれど、インパクトが強いことを教えてくれた、という以外に、数か月とか数年単位でこのひとに習いたい、という惹かれ方はなかった気がする。83年のロンティボーでスタニスラフ・ブーニンという、自分とほぼ同世代のピアニストの演奏を聞いて夢中になった、という前提にフォーカスすれば、タイミング次第ということだったのかもしれないけど、あれだけ(ブーニンも含めて)自分で育て上げたという弟子たち以上に、有名になってからは優秀な才能が怒濤のようにドレンスキーのクラスや講習会に送りこまれた、という話を知るとね。

で、本題。
なんで縁もゆかりもないワタシがドレンスキーのレッスンを受けたか。
ピティナの社長から、ある日とつぜんお電話をいただいたからです。

ピティナの福田(靖子社長の時代)です、と名乗るなり、ねえあなた明日、うちでやるドレンスキー先生のレッスンを受けなさい。

ご興味ないかしら、でもない。
ドレンスキー先生ってご存じかしら、でもない。
最高のレッスンなのよ、という営業トークでさえもない。

ドレンスキーのレッスンを受けなさいな。
イッツオール!

どうしていきなりそんなお電話いただいたのかさえも、説明ナッシング!
三秒で答えていましたね。よろしくお願いします……

あとでいろいろ状況を推理しました。
巣鴨のあの事務所で、ドレンスキーのレッスンをすることになった。
レッスン受けたいという客(!)が定員不足で、コマ数がスカスカ。
担当職員さんは頑張ったんだと思う。でも、あちこち必死に声をかけても、五万円(とドレンスキーのレッスン料は当時いわれていた)払ってまで受けたいというひとがいなかったんだろうね。

社長が職員をしかりとばす。
しょうがないわね、わたしがどうにかするから、あなたはそこで見ていなさい。
受付のとなりのラックから、近々リサイタルをするという人たちのチラシをまとめて持ってきなさい。
はい、このひとの電話番号しらべて。電話するから。

そして少しまえの電話のやりとりに戻る、と。
レッスン謝礼はね、五万円よりはずっとお安かったですわ。
ただ、あそこのホールとピアノ使用料と、通訳料をカウントしたら、それなりに……五万円は超えなかったけどね。

ひとつ悔やんでいるとすれば、レッスンは英語だったのだけれど、通訳サン、わたしがレッスン受け慣れているとみるなり、ほとんど通訳してくれなかった。英語はわかんない!って3回くらい言ってお願いしたのに! 途中でわからない単語があったので「ごめんなさい、いまのは?」と声をかけたのに、ムシされた。もしかすると、ドレンスキーの英語がおかしかったから訳せなかったのかもしれない。それでもいいから、訳してほしかった。

あ、話がズレたね。
何がすごいって、女社長。
何かを紹介する、もしくは、売る。
ドスをきかせるというのかな。
余計なものは何もいらない。

まだまだだなあ、わたし。

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2017/11/30

ピアノの音

ヘタに自信のあるひとだと「自分がブレる」ことへの不安をおぼえたりするようです。

私は、自意識過剰な傾向がありますし、自分がブレたり、何か変な隙(スコトーマ?)とか逆鱗をこさえて、その急所を一撃されることへの恐怖……ないわけでもありませんがね。でも、実際のところ、ブレかどうかは、自分がそう決めてるだけだもんなあ。

たとえば、このブログにいままでポロッと書いちまったことでいうと、ブレンデルの音が苦手だった。引退まぎわのブレンデルは、音楽のつくりが上手くなってイヤミが薄くなったせいか、そこまで「こんな音で主張するヤツがこの世のどこかで息していることさえもムカツク」ほどの嫌悪感はわかなくなった。グリモーとかは、同門で昔のことを知っていなければ、ここまで「どうでもいい」とか「へらへら」「空っぽ」とまでは糾弾しなかったかも。その程度。

ツィメルマンは、基本的に初期の頃は「ああ、きっとこいつ、イヤなヤツだ」と感じた上で、まあ、上手いってこういうことかもしれんし……と受容。シマノフスキの仮面とかさ。曲によっては、こういう「ちょっと鼻につくエゴ」がないと成立しないような、とっちらかった美しさをまとめる力にもなっていたと思う。イヤミな感じがね。それが、ショパンの協奏曲を自分が弾き振りして録音していたあたりになると、ともかくもう、そこまで「自分は賢い」と誇示しないとダメなん?って。ちょっとどころか、鼻につくところしか聞こえなくなった。もしかすると、最近はまた少しマシになったのかもだけど。

……こうしてみると、ひと(演奏家)が臆面もなくスタイルを変えたり、ブレたりすることに対して、わたしはけっこう寛容なのかもしれない(笑)。自動的に、自分についても、いろんなことが一貫してる。そう思って、まあ、ホッとする……いや、どうでもいいと思っているフシもあるなあ。

で、11月30日オンエアのNHKFMのクラシックカフェ(再放送)。
こんなことをFBのかたすみでつぶやいた。

~でもそういえば、今朝はラジオを聴いてて「たぶんヴィラロボス(いやまさかアルベニスにしては音楽言語がちょっとへん)だけど、まるでジョリヴェみたいに弾いておるピアノ」「音だけでどこのひとかわからぬ、中国人でないことは確かだけど、思想や感受性の反映がなんにもない気持ち悪さはいったいどこのピアニストだ」「学生時代にブレンデルの音が大嫌いだった自分の拒否感が再燃。嫌うほどのキャラもなし」と思ったピアノ、アムラン(マルクアンドレのほうね)だったよ。

はい、アムランの音は、これがジャズピアノと思いこんでさえもピンとこない。
録音だと音が無機質に聞こえるタイプなのかもしれないけどね。
ふむふむ。いやはや。

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2017/11/20

コンサートに行かなくなったわけ

わけなんかない。と思う。

最初はね、理屈抜きで「ああこれ行きたい」と思える演奏会が少なくなったなあって。
コンサートって、マラソンハイとか、読書ハイと同じで、きっかけ1つで楽しくなって「また次に行きたい」とスイッチが入って、リズムよく次の出会いを楽しめたら、あとはどんどんとイモヅル。

逆に、いったん火が消えてしまうと敷居が高くなっちゃうんだよね。
知りあいが誘ってくれても「いやその、知りあいだからこそ、演奏は遠慮申しあげた方が」という真理(心理)が働くってのもある。

もちろん、点ではなく線でのおつきあい。演奏家とはそういうものだ、ということも重々承知のすけ。私だって本来はそっちの畑にいたんだし……と思うとかえって意欲が薄れるってのもあるかもね。

特にピアノ。
ま、そういう時期もあらーな。

世の中にはクラシックピアノ以外にも、いくらでも刺激的で奥深い冒険の音楽はたくさんある。未知の世界というだけではなく、フレッシュなインパクトが欲しいと思うなら、いくらでも与えてもらえる。この「いくらでも」というのが、必ずしも妄想領域にいかずとも、楽しい出会いはいくらでもある。自分のありようを進化させていくきっかけは、自分でそうと決めさえすれば、いつでもどこでも、どこからでも抽出可能。

ってことで、新国での椿姫を観てきたいなあって思ったけど、案の定、腰があがらず。読響のメシアンのオペラもね、私は83年の初演をパリで観ていて、これは見に行く「べき」と思いはしたものの、どうもスイッチが入らない。

せめて、松竹系(かな)でやってるソフィア・コッポラの椿姫な映画でも観てこよう。

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2017/09/22

ウェルズとかアシモフとか

進化したロボットが人間に仕えていく社会。
風刺的な初期SFでよく扱われたテーマです。

さらに、コンピュータもしくは人工知能に何がどこまで可能なのか。
だいたいは、人間は「じぶんたちに扱いきれないモンスターを背負い込む」という、危機感をあおるような物語になっていくのかもしれないなあって。ずっとそう思っていた。

人工知能の権威レイ・カーツワイルが、グーグルで「メールの自動返信」を開発する本当の狙い

いい記事だなあ。
じっくり読ませてもらおう。

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2017/09/19

クラシックカフェ

月曜日だったかな。
朝の再放送を聴いていて、最初の古楽がコレッリ?テレマン?イタリアバロックは確かだけどなあって、ヴァイオリンしかもバロックヴァイオリンのレパートリーについては万年シロウトな私はつぶやきながら、それでも聞き入ってしまってな。演奏は端正で、むちゃな主張はしない系統。と思ったら、寺神戸さんのコレッリでした。

そこから少し、あれこれ聴いて。
散歩に出てからまた聴いて。

なんか今日の曲目、どれもいい感じだなあ。
耳がホッとする。
(もちろん、窓を閉めて音質とかにこだわって聴くのとは別のレベル)

で、以下にそのときの曲目を番組サイトからコピペ。

「フォリア」 コレッリ作曲
(11分05秒)
(バロック・バイオリン)寺神戸亮
(バロック・チェロ)ルシア・スヴァルツ
(チェンバロ)シーベ・ヘンストラ
<日本コロムビア COCO-70459>

「ハープと弦楽のための舞曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」」
ドビュッシー作曲
(9分44秒)
(ハープ)フレデリック・カンブルラン
(合奏)ジャン・フランソワ・パイヤール室内管弦楽団
(指揮)ジャン・フランソワ・パイヤール
<BMG BVCC-9366>

「バレエ音楽「ラ・ヴァルス」」 ラヴェル作曲
(11分58秒)
(管弦楽)パリ管弦楽団
(指揮)セミョーン・ビシュコフ
<PHILIPS PHCP-5182>

「歌劇「ファウスト」バレエ音楽」 グノー作曲
(17分45秒)
(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ヘルベルト・フォン・カラヤン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON
POCG-9666>

「リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲」
レスピーギ作曲
(17分56秒)
(演奏)イ・ムジチ合奏団
<PHILIPS UCCP-3062>

「ガランタ舞曲」 コダーイ作曲
(16分32秒)
(管弦楽)シカゴ交響楽団
(指揮)ネーメ・ヤルヴィ
<CHANDOS CHAN 8877>

「バレエ組曲「眠りの森の美女」から「序奏とリラの精」
「パノラマ」「ワルツ」」チャイコフスキー作曲
(11分50秒)
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ジェームズ・レヴァイン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON
POCG-9613>
*****************************************
散歩に出たのはドビュッシーの途中から、帰ってきてワンコの餌やりを済ませる頃にはレスピーギになっていたかな。こういう演奏をBGMぽく聴くのが嬉しい時期みたいね。

番組のナイス・セレクトに感謝。

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2017/09/16

朝のFMでクラシックを聴く

習慣というほどでもないな。かなりゆるゆる。
タイマーでラジオがついても、散歩に出て不在ということもあれば、夜更かしして意識がない(=熟睡・朝寝坊)ということもあるわけです。

月曜日の「きらクラ」は、おもしろいけど情報とか発想の偏りが鬱陶しくて、つけても消しちゃうこともあり、土曜日も番組は違うけど同じくつけても消しちゃうことアリ。日曜日の現代音楽も然り←これは逆にボリュームを上げて真剣に聴いちゃう日もあるんだけど。

で、聞こえるか聞こえないかの、窓を開けていると我が家は街道沿いなので、外の音でラジオの音はすぐ横にいても切れ切れにしか意識に届かないこともある。演奏音源を流すとき、曲が何かに気づいて「あら」と思っても、演奏者名のアナウンスはたいてい聞こえません。

そこがかえっておもしろい。
アルゲリッチも、友達とよくそういう遊びをするそうですが。
ってか、ベロフさんと銀座のアップルストアに遊びにいくと、いっときピアノの演奏音源をググっては、音を消して「このひとは何を弾いているか」とか、当てっこしたもんな。わたしも(笑)。中村紘子さんのカレーのCMは、さがしてもなかなか出てこなかったりで、代わりに出てきた演奏映像で好き勝手コメントつけたりするのもやりました。はい懺悔。

そして最近。
ベートーヴェンのソナタとか流れてきて、わりと突っ張ってるあんちゃんっぽい感じがするなとか。でもこのセンス、この音、キライじゃないぞとか。アンスネスとかアンデルジェフスキとかだったら多いに見直してやってもいいな(ナニサマ)とか。そう思ってきいてたら、意外とアラウでしたとか。ゼルキンでしたとか。

ぎゃー。じぶんの耳と心が今様にというか、寛容になったかもしれないって、期待してたらソレかよ。つか、アラウって、こんなに若々しかったっけ。いや、じぶんが歳とったってことかなあ。

ってことで、てへへ、と笑う。

また別のあるときは、ショパンのポロネーズが流れてきて。
ラジオのボリュームがそのときはかなりしぼってあって、音の表情とかツヤとか、きちっと骨組とか解釈は聞こえてこない。もしくは、録音がイマイチなのか。

でもまあ、きちんと聞くと上手い・かも。
だが、ちゃらい! ちゃらいぞ。
こういう演奏は、どこの誰がやるんだろう。
録音技術のセンスがばつぐんであれば、そして私がじぶんの知らぬ間に心を入れ替えていたら(?)、万が一にも日本人の女性ピアニスト……いやいやいや。ありえんでしょ。そこまで私はじぶん(の過去)を否定するのか。

ほんの十秒ほどで、心のなかで恐ろしいほどの葛藤がありました。

だって、ちゃらいよ。
これを、ちゃらい、と言ってしまっていいのかも自信ないけど。

固まっていたら、たまたま横にいた相方が、気をきかせて自分のパソコンで番組表を調べてくれた。

ショパンのポロネーズ?
サンサンサン?
へんな名前。

いやん。
サンソン?
フランソワ?

ちゃらいってさー。
わたしってばよー。
その場でしゃがんで頭を抱えこみたくなりました。。。

いやまあ、まちがっちゃいないんだけどさあ。
録音が……って、フランスEMIだろうね。
60年代だよね。
私の胎教……おかーさんのお腹でさんざん聞いたはずの音源だ。

ちゃらいんだ。
人生、出直してまいります。

ラジオさん。
すごいタイミングだよ。ありがとう(かな?)。

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2017/09/14

ギアチェンジ

力加減というのが近いかもしれない。
シフトチェンジというよりは、ギアチェンジ。

生き方とか暮らしぶりとか、そういうもののドライブ……とも違うかな。
そもそも「生き方」なんて立派なもの、意識した途端にこわばって緊張してしまう小心者どすねん。

でもここ数日で、何かが変わった気がする。
何かを「すべき」とか「しなきゃ」というのが、きちんと思念の多重スクリーンに映し出されているうえで、そういうのがどうでもよくなった、というと言いすぎかな。どうでもいい、という言い方にもまだ力みがあるからさ。

ダラダラと過ごしたければそれも行動。
くるくると動きたければそれで意識が磨かれる。
人に言われてやるのも悪くない。それでエゴの風通しがよくなる。
じぶんがグチャグチャして切なくなったり哀しくなるのも、それはヒトとして経験することがたくさんある、という証し。

そのへんのコトバも、ぶっちゃけ後付けな面が強いけどさ。不思議なことに、そういう心境になったとたん、以前に気になって、そういう「足元を見られる」「じぶんでじぶんが認められない」という不条理もしくは無常なマイストーリーをこしらえてしまっては消化しきれないことを悩んだ、そういう対象とかヒトとか競争論理みたいなものが、ほんの一週間とか一か月とか、わりと短期間でぶわっとまた「またお目にかかりましたね」となったりしてさ。

おもしろい。
以前はそういう事柄や感情を「くだらない」「目に入れない」「近よらない」と、ことさらに「君子危うきに近寄らず」とか「交わりは淡い水のごとし」と呪文のようにとなえて、じぶんをすっきりと保とうとした。

それはそれで効果があった。
ありがたいとも思っている。

いまは、そういう経験や感情の反応、すべて含めて「それがあなた(=わたし)」なのであって、他の誰にも到達できないじぶんにたどりつくための道、なのだと認識するようになった。道はね、すべての道はローマに通じる、というのと重なる意味合いに置いて、だれの人生も似たような、あるいは同じ道なのかもしれない。ただ、歩いている私は、そしてその道行きは、ほかに同じものはありえない稀有なものなのだ。

で、ギアチェンジ。
ギアをシフトすると、おそらくは見えてくる風景がかわる。
体感温度(かな)が変わる。たぶんね。

引っかかりを憶えて立ち止まる他者(それだって、視野に入る対象ってことで、ぜんぶじぶん。じぶんの世界)は、ほぼ確実に「イマココにいない」とか「何かを形にして遺す」ひとたちであって、そこに引っかかるってことはつまり、私も何かの「形に拘っている」のと、矛盾する「形に拘ることを正しくないと思っている」という、そこらへんが反応しているんだね。

形にするってことは、認められたい。じぶんはエラい、他と違う、というエゴとか、価値観、ジャッジからきている。そのこだわりを消すというよりは、透明になりたいと思えば思うほど、表裏一体の「認められたい欲求」も強烈になってきて、見ないふりをしようとすればするほど、ヒトから軽く扱われたり、じぶんでじぶんが嫌いになったり、剽窃することでじぶん(って誰かはあとで考えよう)を踏みつけてくる才能が次から次に目の前に登場してくる。そのことを私は……知った、というよりは「夢で見た」かな。

覚醒。うん。
それで何が変わるというわけでもない、とも思う。
ただ、じぶんの世界観が一瞬ごとにクリアになっている。

三秒でうなずいて。手のひらを軽くあわせる。
よし、はい次。

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2017/06/01

ヴィオラスペース

二晩つづけて行ってきました。
場所は上野の石橋メモリアルホール。
久々というか、もしかすると自分がピアノを弾いていた頃にどなたか(金田真理子さんがホルンと共演した演奏会、というイメージが)に会いたくて足を運んだ記憶がポッと出ました。もしかするとめちゃくちゃ昔?

めったに行かない場所なので、地図を見ながらゆっくりと上野駅から徒歩。
下町ふうのバーとか居酒屋、中華料理屋さんとか、民家の玄関先を眺めながら、このへんの空気わりと好きかも……と、散歩気分でおりまして。
この建物かなあ、と思ったところで確信がなく、そのまま横断歩道を渡ってもう少しさきまで行ってみようかと歩きだしたところで、ちょうど可愛らしいパピヨンを散歩させていたご婦人が「石橋メモリアルホールに行かれるんですか」とお声をかけてくれました。はい!

「ここですよ。入口わかりにくくて大変よね」と、後ろの建物を指差してくれた。あはは。こういうふうに、誰かに声をかけてもらったとか、変なお店が面白そうだったとか、そういう「場所の力」というのかな。すでに演奏会は始まっている。私も、テキトーな恪好で歩いていたはずですが、それでも石橋メモリアルでのイベントにいくひと、というハマり方ができていたのかな。


P6018473初めてのおまつり。どういう雰囲気なんだろうって。いざ蓋を開けてみたら、知りあいの顔もちらほら。ってか、タメスティの舞台挨拶の通訳さんは、何度かご一緒したことのある大島路子さんだったし。とはいえ、最初は、こっちがバルコニーの最前列というお席を手配してもらっていたので、大島さんだって気づかなかったわ。このところ、英語のプロ通訳というと、もう超絶技巧のリズム感で、麗しいながらもテキパキと言葉をたたみかける神さまレベルの先輩の姿しか見ることもなく、だから大島さんのまったりと「マシンガントークの話者のことばにこだわらず、必要なところだけつまんで、お歳を召した観客にもわかるようなレベルに落とし込む」通訳がかえって新鮮でした。それとは関係なく、タメスティが演目について説明した最後に「あ、今日は奏者の衣装もトリコロールカラーにしました」と付け足したコメントのインパクトが強すぎたってのも笑った。

で、曲目。最初のマラン・マレの主題によるガース・ノックスの曲、おもしろかった。とくにマレ好きなら堪えられない美味しさ。ただ、演奏会冒頭においてあると、聞き手というよりは弾き手のほうが「空気をあっためる」感じになっていたかな。ヴュータンのエレジーは、曲そのものというより、ピアニストを見ているのか見ていないのか微妙な感じで、それでも確信に満ちた構築で聴かせるタメスティの鉄柱めいた佇まいが印象的でした。

ストラヴィンスキーは渋めというか。
レフラーは、波多野睦美さんがともかく圧巻。表現が圧倒的だというだけではなく、舞台での立ち位置の決め方とか。響きの捉え方とぶつけ方とかがね、ひときわ冴えていました。石橋メモリアルって、良いホールなのはまちがいないけれど、音の伝わり方(インパクト)がキツすぎる面もあってね。とくに低音。弦や管楽器だと、イヤでも皆さん、本能的に調和を意識しながら音を放つけれど、ピアノみたいな楽器だとね。あれ、けっこう難しいホールだと思った。ふといま思い出したのが、某オケを振ったフランス人が、拙い英語でのリハで「ここのヴァイオリンの音がまるでコンクリートの壁のようにならないようにしてね」と言ったらコンマスを怒らせちゃって……という事件。コンクリートの壁になっちゃう奏者に向かって「コンクリートにならないようにしてね」と言ってもしょうがない、というかね。それよりは、ちょっと様子をみて、ダメなようなら壁打ちの壁にしてしまえ、というか。あのホールでのピアノは、少しスカスカになるくらいに音を抜かないと、すぐにコンクリートになってしまいそうで、でもそこのあたり、ソリストたちの対応もそれぞれ、というか。波多野さんはともかくみごとだったなあ。

フランクは今井信子さんがさすがの音づくりでいらっしゃいました。ピアノもあの一楽章はステキでした。
武満徹がそこで出てくると、ああ日本人だな、と。ムリせず「ただ弾くだけ」でさまになる。エネスクも、民族調がその流れでわりあいとのれる。ある程度の「型」があって、しかもそれが普遍的。最後のシュターミッツは、赤いドレスのソリストが、全身を音楽にしての表現、たのしかったね。

ヴィオラスペースのイベントページ

曲目、2日分を手打ちでいれようと思ったけれど、サボってページのリンクだけ。
2日目は、フィリップ・エルサンの曲とアキロン・カルテットを聴きたくて行ってきました。
全体についてあれこれ思ったことは、別エントリーでまた書こうと思います。

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2017/05/16

プレステ4を導入したとですよ

今年もありがたいことにお声をかけていただき、GWは有楽町に出ずっぱりでした。

で、しばらく前からゲームがしたい、と口からボロボロついて出ましてね。久しぶりですよ。プレステそのものは2も購入はしなかったんだっけ……というくらいには記憶が古い。友人つながりで、もう使わないからというゲーム機を譲ってもらって、あれで風来のシレンとかは少しやってみた記憶もあるけどね。これが欲しいとかあれやってみたいとか、物欲はそれなりにあるとはいえ、意外と「お金を使う」ということ自体をのぞいては、行動をともなうモロモロについてのハードルが高いワタクシでしてな。

でもゲームは本気でやりたかったらしい。
溜めてしまった〆切仕事を考えると、依頼主さんに申し訳なくて、遊んでいるところを知られたくない!とかいう、もはやだいぶまえにどこかに埋めたはずの「恥」の感情がうごめきましたが。

そんなもんに負けてしまって人生ムダ(という表現そのものがどこか捻じれているけど、それはそれ)にするようなお年頃でもないじゃろ。という、反骨精神がむらむら……というのは大げさかな。

買ってきてしまいましたがな。
プレイステーション4!

私が遅れて来たブームとやらで、ファイナルファンタジーとかドラクエとかにハマったスーファミの最後の頃にくらべて、遊べそうなゲームソフトそのものが「こんなに少なくなってしまったのか」と、店頭の棚の数に驚いたというのもありますが、そういう驚愕とて、いまの出版あれこれの不景気な状況を思えば、なんもおかしいことはない。と、納得する手ごたえに結びつけたりしています。

購入して3日ほどかけて、とりあえずスターオーシャン5を終わらせた。
いまはソフィーのアトリエをのんびりプレイ中。

ゲームやアニメって、マンガよりもさらに世間からの評価が遅れていてさ。
今年になってからだったか、新聞の記事で、高校教師が教え子に「ゲームとかアニメの仕事をしたい」と言われて、そんな不安定な仕事は勧められんと答えたとあって、ついでにいまの社会の経済とか就職状況とか、職業そのものについての統計とかをテキトーに引いてきているのを読んだんです。いやあ、職業差別って、そういうレベルで染みこんでいるのか、と。差別するから差別される。ってか、みんなと同じことやって、憧れの企業に就職をめざし、受験のベルトコンベアにのって、そういう競争ってのかな。めざすさきに、いったい何があるんだろう。

ふと、そんなふうに思って、恐ろしくなったことです。
だって、私のまわりにも多かったよ。そういうふうに頑張って頑張って、頑張ったあげくに壊れちゃったひと。

や、ゲームの話しからズレまくりました。
ゲームやアニメ、仕事をしたいという人がいるなら、なぜどんどん勧めないのかな。
少なくとも、そういうふうに教師として悩める自分よりは、風通しのいい人生を目指せる可能性もあるだろうに。

すみません、ヒトゴトなので言いたい放題。
そんなこんな。

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