たまたま……いや、たぶんわたしが「そういうものを呼びこんでしまう」気分というか、オーラみたいなものを発してしまうサイクルにはまりこんでいたんだと思う。気分が黒々と染まるようなできごとが続いた。まだ、過去形に全然なっていないのだけれど。
でも、睡眠って偉大だ。寝る前に「たいしたことじゃない、一晩寝れば、頭と心も最低限、リセットされるはずだもん」とつぶやいて寝たら、ほんの四時間ほどだけど、ホントに目が覚めたとき、だいぶいろんなことがすっきりしていた。
今年はいい年だったと言いながらゴールしたい。思いおこせば、この春にとんでもないことで「人の心の思わぬウラオモテ」のようなものを目のあたりにして、しかもそのことを誰にも相談できず、どろどろと気持ちが澱み、すさんだとき、犬との散歩で目に入るささやかな自然の風景が日々、笑ってしまうほど違って見えてきた。そうか、昔から人にとって「自然が友だ」というのはこういうことだったのかと、すとんと心に落ちてきた。なんだか、笑われそうだけど、ベートーヴェンの音楽ってこういうことだったんだと、ふと思った。
で、そういうときでも、愚痴ではなかったかもしれないけれど、毎日のようにメールで話をきいてくれる同性の先輩がひとりいてくれた。正直、お互いに「友だち」でもなんでもなく、いやもちろん、世間的に考えると、知りあってもう十年近くになる相手だから、十分に友人と呼ぶに足る関係といってしまってもいいのだろうし、春のそのできごととなりゆきを報告し合うという名目で、何度かゆるい感じで食事をしたり、おしゃべりをしたりもした。でもそれまでの十年、ずっと彼女と継続的にまめまめしくやりとりをしてきたわけでもなく、悩みや心情を打ち明け合っていたわけでもなんでもない。互いの仕事のことにさえも無関心で、あちらはわたしのピアノを聴いたこともなければあらためて訳書を手にして感想を述べてくれたこともなく、こっちは……さらにもっとあっさりと、いろんなことをやり過ごしてきた。でも、何か共通のものを見すえて一緒に走っている人がいる、という感じがして、とてもとてもありがたかった。おもしろいことに、いろんなことがひと山越したところで、またその先輩とのメールなどでのやりとりは少し疎遠に戻った。もちろん、また何か起きたら、連絡をとりあうという暗黙の了解はできている気がする。
あいにく、その案件が一段落してからも、わたしの気持ちのうえで、今年はなんだかどす黒さに満ちた……いえ、もちろんそれだけじゃないんだけどね。でも、いっそのこと「まっくらな心」とやらを抱えて自分は生きていくのさと、つぶやくくらいのほうがふさわしいような気がしてならない。
昨夜、寝つく前には「袋小路」という言葉が耳元にこだましていた。行き場がない。たいしたことが現実に起きたわけでもなんでもなく、それでも、なぜか笑ってしまうほどいろんなことが立て続けにあった……ような気がする。でも、ホントに悩んだときこそ、じつは誰にも愚痴っちゃいけないんだという、起きたらそういう気分になってたね。いや、ここにこうして書いているのだって、ある意味では愚痴なんだけど。
何が辛いといって……いや、それはここには書くまい。書くことで無理に流れを変えないほうがいいこともある。ただ、まだしばらくは身も蓋もなく、さみしいとか、切ないとか、しんどいとか、みっともない姿を一部の知人や友人にはさらすことになりそうな気がするけど、お願いだから邪険にしないでくださいね、とだけ。どうにかここで、ステップをあがりたいと、決心だけはしたんだから、見捨てないでやってください。はあ、よし、これで言うべきことは書いた。
たいがいの人は、そんなことをいちいち騒ぎ立てずに、じっと我慢してやり過ごしていくものなのかもしれないけど、子どもの頃から「たいていのこと」はピアノを弾くことでまぎらわせ、昇華させてきてしまった人間なもので、いまになって気持ちの整理のつけかたをあらためて学び直している気分です。いやはや。
とりあえず、泣き言は引っこめて、すぐに「前向きになる」のは無理だとあきらめつつ、この「どす黒い気分」をしっかりと相棒にして、いましばらく生活してみようと決めた。
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