2017/11/20

コンサートに行かなくなったわけ

わけなんかない。と思う。

最初はね、理屈抜きで「ああこれ行きたい」と思える演奏会が少なくなったなあって。
コンサートって、マラソンハイとか、読書ハイと同じで、きっかけ1つで楽しくなって「また次に行きたい」とスイッチが入って、リズムよく次の出会いを楽しめたら、あとはどんどんとイモヅル。

逆に、いったん火が消えてしまうと敷居が高くなっちゃうんだよね。
知りあいが誘ってくれても「いやその、知りあいだからこそ、演奏は遠慮申しあげた方が」という真理(心理)が働くってのもある。

もちろん、点ではなく線でのおつきあい。演奏家とはそういうものだ、ということも重々承知のすけ。私だって本来はそっちの畑にいたんだし……と思うとかえって意欲が薄れるってのもあるかもね。

特にピアノ。
ま、そういう時期もあらーな。

世の中にはクラシックピアノ以外にも、いくらでも刺激的で奥深い冒険の音楽はたくさんある。未知の世界というだけではなく、フレッシュなインパクトが欲しいと思うなら、いくらでも与えてもらえる。この「いくらでも」というのが、必ずしも妄想領域にいかずとも、楽しい出会いはいくらでもある。自分のありようを進化させていくきっかけは、自分でそうと決めさえすれば、いつでもどこでも、どこからでも抽出可能。

ってことで、新国での椿姫を観てきたいなあって思ったけど、案の定、腰があがらず。読響のメシアンのオペラもね、私は83年の初演をパリで観ていて、これは見に行く「べき」と思いはしたものの、どうもスイッチが入らない。

せめて、松竹系(かな)でやってるソフィア・コッポラの椿姫な映画でも観てこよう。

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2017/09/22

ウェルズとかアシモフとか

進化したロボットが人間に仕えていく社会。
風刺的な初期SFでよく扱われたテーマです。

さらに、コンピュータもしくは人工知能に何がどこまで可能なのか。
だいたいは、人間は「じぶんたちに扱いきれないモンスターを背負い込む」という、危機感をあおるような物語になっていくのかもしれないなあって。ずっとそう思っていた。

人工知能の権威レイ・カーツワイルが、グーグルで「メールの自動返信」を開発する本当の狙い

いい記事だなあ。
じっくり読ませてもらおう。

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2017/09/19

クラシックカフェ

月曜日だったかな。
朝の再放送を聴いていて、最初の古楽がコレッリ?テレマン?イタリアバロックは確かだけどなあって、ヴァイオリンしかもバロックヴァイオリンのレパートリーについては万年シロウトな私はつぶやきながら、それでも聞き入ってしまってな。演奏は端正で、むちゃな主張はしない系統。と思ったら、寺神戸さんのコレッリでした。

そこから少し、あれこれ聴いて。
散歩に出てからまた聴いて。

なんか今日の曲目、どれもいい感じだなあ。
耳がホッとする。
(もちろん、窓を閉めて音質とかにこだわって聴くのとは別のレベル)

で、以下にそのときの曲目を番組サイトからコピペ。

「フォリア」 コレッリ作曲
(11分05秒)
(バロック・バイオリン)寺神戸亮
(バロック・チェロ)ルシア・スヴァルツ
(チェンバロ)シーベ・ヘンストラ
<日本コロムビア COCO-70459>

「ハープと弦楽のための舞曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」」
ドビュッシー作曲
(9分44秒)
(ハープ)フレデリック・カンブルラン
(合奏)ジャン・フランソワ・パイヤール室内管弦楽団
(指揮)ジャン・フランソワ・パイヤール
<BMG BVCC-9366>

「バレエ音楽「ラ・ヴァルス」」 ラヴェル作曲
(11分58秒)
(管弦楽)パリ管弦楽団
(指揮)セミョーン・ビシュコフ
<PHILIPS PHCP-5182>

「歌劇「ファウスト」バレエ音楽」 グノー作曲
(17分45秒)
(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ヘルベルト・フォン・カラヤン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON
POCG-9666>

「リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲」
レスピーギ作曲
(17分56秒)
(演奏)イ・ムジチ合奏団
<PHILIPS UCCP-3062>

「ガランタ舞曲」 コダーイ作曲
(16分32秒)
(管弦楽)シカゴ交響楽団
(指揮)ネーメ・ヤルヴィ
<CHANDOS CHAN 8877>

「バレエ組曲「眠りの森の美女」から「序奏とリラの精」
「パノラマ」「ワルツ」」チャイコフスキー作曲
(11分50秒)
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ジェームズ・レヴァイン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON
POCG-9613>
*****************************************
散歩に出たのはドビュッシーの途中から、帰ってきてワンコの餌やりを済ませる頃にはレスピーギになっていたかな。こういう演奏をBGMぽく聴くのが嬉しい時期みたいね。

番組のナイス・セレクトに感謝。

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2017/09/16

朝のFMでクラシックを聴く

習慣というほどでもないな。かなりゆるゆる。
タイマーでラジオがついても、散歩に出て不在ということもあれば、夜更かしして意識がない(=熟睡・朝寝坊)ということもあるわけです。

月曜日の「きらクラ」は、おもしろいけど情報とか発想の偏りが鬱陶しくて、つけても消しちゃうこともあり、土曜日も番組は違うけど同じくつけても消しちゃうことアリ。日曜日の現代音楽も然り←これは逆にボリュームを上げて真剣に聴いちゃう日もあるんだけど。

で、聞こえるか聞こえないかの、窓を開けていると我が家は街道沿いなので、外の音でラジオの音はすぐ横にいても切れ切れにしか意識に届かないこともある。演奏音源を流すとき、曲が何かに気づいて「あら」と思っても、演奏者名のアナウンスはたいてい聞こえません。

そこがかえっておもしろい。
アルゲリッチも、友達とよくそういう遊びをするそうですが。
ってか、ベロフさんと銀座のアップルストアに遊びにいくと、いっときピアノの演奏音源をググっては、音を消して「このひとは何を弾いているか」とか、当てっこしたもんな。わたしも(笑)。中村紘子さんのカレーのCMは、さがしてもなかなか出てこなかったりで、代わりに出てきた演奏映像で好き勝手コメントつけたりするのもやりました。はい懺悔。

そして最近。
ベートーヴェンのソナタとか流れてきて、わりと突っ張ってるあんちゃんっぽい感じがするなとか。でもこのセンス、この音、キライじゃないぞとか。アンスネスとかアンデルジェフスキとかだったら多いに見直してやってもいいな(ナニサマ)とか。そう思ってきいてたら、意外とアラウでしたとか。ゼルキンでしたとか。

ぎゃー。じぶんの耳と心が今様にというか、寛容になったかもしれないって、期待してたらソレかよ。つか、アラウって、こんなに若々しかったっけ。いや、じぶんが歳とったってことかなあ。

ってことで、てへへ、と笑う。

また別のあるときは、ショパンのポロネーズが流れてきて。
ラジオのボリュームがそのときはかなりしぼってあって、音の表情とかツヤとか、きちっと骨組とか解釈は聞こえてこない。もしくは、録音がイマイチなのか。

でもまあ、きちんと聞くと上手い・かも。
だが、ちゃらい! ちゃらいぞ。
こういう演奏は、どこの誰がやるんだろう。
録音技術のセンスがばつぐんであれば、そして私がじぶんの知らぬ間に心を入れ替えていたら(?)、万が一にも日本人の女性ピアニスト……いやいやいや。ありえんでしょ。そこまで私はじぶん(の過去)を否定するのか。

ほんの十秒ほどで、心のなかで恐ろしいほどの葛藤がありました。

だって、ちゃらいよ。
これを、ちゃらい、と言ってしまっていいのかも自信ないけど。

固まっていたら、たまたま横にいた相方が、気をきかせて自分のパソコンで番組表を調べてくれた。

ショパンのポロネーズ?
サンサンサン?
へんな名前。

いやん。
サンソン?
フランソワ?

ちゃらいってさー。
わたしってばよー。
その場でしゃがんで頭を抱えこみたくなりました。。。

いやまあ、まちがっちゃいないんだけどさあ。
録音が……って、フランスEMIだろうね。
60年代だよね。
私の胎教……おかーさんのお腹でさんざん聞いたはずの音源だ。

ちゃらいんだ。
人生、出直してまいります。

ラジオさん。
すごいタイミングだよ。ありがとう(かな?)。

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2017/09/14

ギアチェンジ

力加減というのが近いかもしれない。
シフトチェンジというよりは、ギアチェンジ。

生き方とか暮らしぶりとか、そういうもののドライブ……とも違うかな。
そもそも「生き方」なんて立派なもの、意識した途端にこわばって緊張してしまう小心者どすねん。

でもここ数日で、何かが変わった気がする。
何かを「すべき」とか「しなきゃ」というのが、きちんと思念の多重スクリーンに映し出されているうえで、そういうのがどうでもよくなった、というと言いすぎかな。どうでもいい、という言い方にもまだ力みがあるからさ。

ダラダラと過ごしたければそれも行動。
くるくると動きたければそれで意識が磨かれる。
人に言われてやるのも悪くない。それでエゴの風通しがよくなる。
じぶんがグチャグチャして切なくなったり哀しくなるのも、それはヒトとして経験することがたくさんある、という証し。

そのへんのコトバも、ぶっちゃけ後付けな面が強いけどさ。不思議なことに、そういう心境になったとたん、以前に気になって、そういう「足元を見られる」「じぶんでじぶんが認められない」という不条理もしくは無常なマイストーリーをこしらえてしまっては消化しきれないことを悩んだ、そういう対象とかヒトとか競争論理みたいなものが、ほんの一週間とか一か月とか、わりと短期間でぶわっとまた「またお目にかかりましたね」となったりしてさ。

おもしろい。
以前はそういう事柄や感情を「くだらない」「目に入れない」「近よらない」と、ことさらに「君子危うきに近寄らず」とか「交わりは淡い水のごとし」と呪文のようにとなえて、じぶんをすっきりと保とうとした。

それはそれで効果があった。
ありがたいとも思っている。

いまは、そういう経験や感情の反応、すべて含めて「それがあなた(=わたし)」なのであって、他の誰にも到達できないじぶんにたどりつくための道、なのだと認識するようになった。道はね、すべての道はローマに通じる、というのと重なる意味合いに置いて、だれの人生も似たような、あるいは同じ道なのかもしれない。ただ、歩いている私は、そしてその道行きは、ほかに同じものはありえない稀有なものなのだ。

で、ギアチェンジ。
ギアをシフトすると、おそらくは見えてくる風景がかわる。
体感温度(かな)が変わる。たぶんね。

引っかかりを憶えて立ち止まる他者(それだって、視野に入る対象ってことで、ぜんぶじぶん。じぶんの世界)は、ほぼ確実に「イマココにいない」とか「何かを形にして遺す」ひとたちであって、そこに引っかかるってことはつまり、私も何かの「形に拘っている」のと、矛盾する「形に拘ることを正しくないと思っている」という、そこらへんが反応しているんだね。

形にするってことは、認められたい。じぶんはエラい、他と違う、というエゴとか、価値観、ジャッジからきている。そのこだわりを消すというよりは、透明になりたいと思えば思うほど、表裏一体の「認められたい欲求」も強烈になってきて、見ないふりをしようとすればするほど、ヒトから軽く扱われたり、じぶんでじぶんが嫌いになったり、剽窃することでじぶん(って誰かはあとで考えよう)を踏みつけてくる才能が次から次に目の前に登場してくる。そのことを私は……知った、というよりは「夢で見た」かな。

覚醒。うん。
それで何が変わるというわけでもない、とも思う。
ただ、じぶんの世界観が一瞬ごとにクリアになっている。

三秒でうなずいて。手のひらを軽くあわせる。
よし、はい次。

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2017/06/01

ヴィオラスペース

二晩つづけて行ってきました。
場所は上野の石橋メモリアルホール。
久々というか、もしかすると自分がピアノを弾いていた頃にどなたか(金田真理子さんがホルンと共演した演奏会、というイメージが)に会いたくて足を運んだ記憶がポッと出ました。もしかするとめちゃくちゃ昔?

めったに行かない場所なので、地図を見ながらゆっくりと上野駅から徒歩。
下町ふうのバーとか居酒屋、中華料理屋さんとか、民家の玄関先を眺めながら、このへんの空気わりと好きかも……と、散歩気分でおりまして。
この建物かなあ、と思ったところで確信がなく、そのまま横断歩道を渡ってもう少しさきまで行ってみようかと歩きだしたところで、ちょうど可愛らしいパピヨンを散歩させていたご婦人が「石橋メモリアルホールに行かれるんですか」とお声をかけてくれました。はい!

「ここですよ。入口わかりにくくて大変よね」と、後ろの建物を指差してくれた。あはは。こういうふうに、誰かに声をかけてもらったとか、変なお店が面白そうだったとか、そういう「場所の力」というのかな。すでに演奏会は始まっている。私も、テキトーな恪好で歩いていたはずですが、それでも石橋メモリアルでのイベントにいくひと、というハマり方ができていたのかな。


P6018473初めてのおまつり。どういう雰囲気なんだろうって。いざ蓋を開けてみたら、知りあいの顔もちらほら。ってか、タメスティの舞台挨拶の通訳さんは、何度かご一緒したことのある大島路子さんだったし。とはいえ、最初は、こっちがバルコニーの最前列というお席を手配してもらっていたので、大島さんだって気づかなかったわ。このところ、英語のプロ通訳というと、もう超絶技巧のリズム感で、麗しいながらもテキパキと言葉をたたみかける神さまレベルの先輩の姿しか見ることもなく、だから大島さんのまったりと「マシンガントークの話者のことばにこだわらず、必要なところだけつまんで、お歳を召した観客にもわかるようなレベルに落とし込む」通訳がかえって新鮮でした。それとは関係なく、タメスティが演目について説明した最後に「あ、今日は奏者の衣装もトリコロールカラーにしました」と付け足したコメントのインパクトが強すぎたってのも笑った。

で、曲目。最初のマラン・マレの主題によるガース・ノックスの曲、おもしろかった。とくにマレ好きなら堪えられない美味しさ。ただ、演奏会冒頭においてあると、聞き手というよりは弾き手のほうが「空気をあっためる」感じになっていたかな。ヴュータンのエレジーは、曲そのものというより、ピアニストを見ているのか見ていないのか微妙な感じで、それでも確信に満ちた構築で聴かせるタメスティの鉄柱めいた佇まいが印象的でした。

ストラヴィンスキーは渋めというか。
レフラーは、波多野睦美さんがともかく圧巻。表現が圧倒的だというだけではなく、舞台での立ち位置の決め方とか。響きの捉え方とぶつけ方とかがね、ひときわ冴えていました。石橋メモリアルって、良いホールなのはまちがいないけれど、音の伝わり方(インパクト)がキツすぎる面もあってね。とくに低音。弦や管楽器だと、イヤでも皆さん、本能的に調和を意識しながら音を放つけれど、ピアノみたいな楽器だとね。あれ、けっこう難しいホールだと思った。ふといま思い出したのが、某オケを振ったフランス人が、拙い英語でのリハで「ここのヴァイオリンの音がまるでコンクリートの壁のようにならないようにしてね」と言ったらコンマスを怒らせちゃって……という事件。コンクリートの壁になっちゃう奏者に向かって「コンクリートにならないようにしてね」と言ってもしょうがない、というかね。それよりは、ちょっと様子をみて、ダメなようなら壁打ちの壁にしてしまえ、というか。あのホールでのピアノは、少しスカスカになるくらいに音を抜かないと、すぐにコンクリートになってしまいそうで、でもそこのあたり、ソリストたちの対応もそれぞれ、というか。波多野さんはともかくみごとだったなあ。

フランクは今井信子さんがさすがの音づくりでいらっしゃいました。ピアノもあの一楽章はステキでした。
武満徹がそこで出てくると、ああ日本人だな、と。ムリせず「ただ弾くだけ」でさまになる。エネスクも、民族調がその流れでわりあいとのれる。ある程度の「型」があって、しかもそれが普遍的。最後のシュターミッツは、赤いドレスのソリストが、全身を音楽にしての表現、たのしかったね。

ヴィオラスペースのイベントページ

曲目、2日分を手打ちでいれようと思ったけれど、サボってページのリンクだけ。
2日目は、フィリップ・エルサンの曲とアキロン・カルテットを聴きたくて行ってきました。
全体についてあれこれ思ったことは、別エントリーでまた書こうと思います。

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2017/05/16

プレステ4を導入したとですよ

今年もありがたいことにお声をかけていただき、GWは有楽町に出ずっぱりでした。

で、しばらく前からゲームがしたい、と口からボロボロついて出ましてね。久しぶりですよ。プレステそのものは2も購入はしなかったんだっけ……というくらいには記憶が古い。友人つながりで、もう使わないからというゲーム機を譲ってもらって、あれで風来のシレンとかは少しやってみた記憶もあるけどね。これが欲しいとかあれやってみたいとか、物欲はそれなりにあるとはいえ、意外と「お金を使う」ということ自体をのぞいては、行動をともなうモロモロについてのハードルが高いワタクシでしてな。

でもゲームは本気でやりたかったらしい。
溜めてしまった〆切仕事を考えると、依頼主さんに申し訳なくて、遊んでいるところを知られたくない!とかいう、もはやだいぶまえにどこかに埋めたはずの「恥」の感情がうごめきましたが。

そんなもんに負けてしまって人生ムダ(という表現そのものがどこか捻じれているけど、それはそれ)にするようなお年頃でもないじゃろ。という、反骨精神がむらむら……というのは大げさかな。

買ってきてしまいましたがな。
プレイステーション4!

私が遅れて来たブームとやらで、ファイナルファンタジーとかドラクエとかにハマったスーファミの最後の頃にくらべて、遊べそうなゲームソフトそのものが「こんなに少なくなってしまったのか」と、店頭の棚の数に驚いたというのもありますが、そういう驚愕とて、いまの出版あれこれの不景気な状況を思えば、なんもおかしいことはない。と、納得する手ごたえに結びつけたりしています。

購入して3日ほどかけて、とりあえずスターオーシャン5を終わらせた。
いまはソフィーのアトリエをのんびりプレイ中。

ゲームやアニメって、マンガよりもさらに世間からの評価が遅れていてさ。
今年になってからだったか、新聞の記事で、高校教師が教え子に「ゲームとかアニメの仕事をしたい」と言われて、そんな不安定な仕事は勧められんと答えたとあって、ついでにいまの社会の経済とか就職状況とか、職業そのものについての統計とかをテキトーに引いてきているのを読んだんです。いやあ、職業差別って、そういうレベルで染みこんでいるのか、と。差別するから差別される。ってか、みんなと同じことやって、憧れの企業に就職をめざし、受験のベルトコンベアにのって、そういう競争ってのかな。めざすさきに、いったい何があるんだろう。

ふと、そんなふうに思って、恐ろしくなったことです。
だって、私のまわりにも多かったよ。そういうふうに頑張って頑張って、頑張ったあげくに壊れちゃったひと。

や、ゲームの話しからズレまくりました。
ゲームやアニメ、仕事をしたいという人がいるなら、なぜどんどん勧めないのかな。
少なくとも、そういうふうに教師として悩める自分よりは、風通しのいい人生を目指せる可能性もあるだろうに。

すみません、ヒトゴトなので言いたい放題。
そんなこんな。

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2017/03/30

買い物メモ@Amazon

今年はCDとか本といった、いわゆる資料の類いの購入を少なくして、持ち物を整理していこう……と思っているわりに、ポツポツとけっこう買い物しちゃってるなあ。とはいえAmazonやHMVサイトからの購入が減っていることは確か。極論すれば、自分の血肉にならない知識はそろそろ要らないお年頃ってことかもね。

そうは言いつつ。日常品の類いは通販で買うのがらくちん。
さきほどポチッたもののメモ。

「ひしおの糀」名刀味噌本舗
「クリスタルガイザー500㎖×24本」青キャップのほうです。
「ワンラック (ONE LAC) お気にいり 低カロリービスケット 300g」

あと、先月ふと買ったビックコミック(雑誌)で気になっていたマンガ。わりとすぐ読みたい気がしたので、TSUTAYAレンタルではなく実物を購入してみた。『響~小説家になる方法』既刊5冊をまとめ注文。

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2017/03/05

自分の勘を鈍らせるな

これは書いておかねば、という。ごく私的なメモでもあります。わざわざブログに書いておかずとも、たぶん来週には「そんなことがあった」ということさえも忘れてしまうかもしれない。でもでもでも……とかね。

通訳仕事(レッスン通訳)がご縁で知りあったピアニスト。女性で、蓋を開けてみたら共通の知りあいがけっこういて、しかもパリのガッコに私とほぼ同じ時期に在籍していたらしく、そのうえ、すごく前向きでエネルギッシュな性格。何より、教え方が上手い。わたし自身が師事した先生方のように「超絶・教えることに命をかけているからこその伯楽」というタイプではなく、あくまで女性教授ならではの、きめこまかく、なおかつダイナミックに弟子の尻を叩ける。この路線にのっかってピアノを弾けば、まじめな学生ということで嫌われないだろうという、枠とレールの設定がキツい。

誰かが言っていたっけ。
ジェルメーヌ・ムニエの後継者って。うん、ちょっとそんな感じ。
言われた本人はイヤがるかもしれないけどね。

で、その彼女とSNSでつながっているものだから、年度末ともなれば、クラスの子らの演奏映像がよくアップされている。こっちの先入観があるのかも……と思いつつ、日本人の子たちの演奏がね。あちこちの音大でもレッスン通訳よくお呼びがかかる私の目からして、これはいったい、という。シャープさがね。決定的にどうも、というか。

いまヨーロッパに留学する子たちのレベルってこんなもん?
私らの時代よりさがった、なんてことはありえないと思う。けど、あれだけちゃんと教えられるはずの師匠についていながらそれって……うーむ。

いずれにせよ、私の目が曇っていたということもあろう。
「いまどきのピアニスト志望」の学生は、昔も今も、絶対に越えるべきラインを越えていける子はごくごく少数ってことかもしれない。そして、友人としてメッセージのやりとりもボチボチ継続しているピアノ教授な女性。とてもすてきで、起業家精神も旺盛にして、私にいろんな人を紹介して仕事をさせようという試みもパワフル!

そのやりとりが始まってすぐにこっちは息切れして、そーっと距離を置いたんだけどさ。その理由は単に「こちらサイドの怠惰ゆえ」ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。いまだって、そこに何かをつけ加えようとは思わない。

とはいえ、あの子らの映像を見て「やっぱりねー」と。
納得したことでした。私の無意識って、ヤバそうな匂いとか、切れ味が鈍くて「馬車馬のごとく」走らされそうな気配とか、そのくせ楽しくなさそうかも……という気配を察知する力が最強ってことだ。

うん、そういうことにしよう。
以上、おしまい。

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2016/11/13

無条件にご縁を楽しむ

名演奏ライブラリー

ラジオをつけっぱなしにして散歩から戻って、ちょうどイゾルテの愛の死が始まった。奏者が誰だか知らずに、そしてわからないならわからないでもいいや、と、それでも何か気になって聞き始めるというパターン、最近多い。先日は、わりとどっちつかずの解釈なれど、そうそう、こういう手垢の付いてない感覚で弾くのもありだなあ、と感心したスカルラッティ。あとでいちおう調べてみたら、仙台で同じ送迎バスに乗り合わせてほんの少し雑談して、どういう演奏するのかも知らず、でも無条件にご縁を楽しむというか、応援したいと思った若手のルカ・ドゥバルグだったので、ちょっと嬉しくなったとかね。

追記:
このところ、演奏会出不精の輪にハマっております。先月、ベロフさんに会ったときも「最近は演奏会にあまり行ってないでしょ」と断定されちゃったもんね。うーん、ラロックで毎日二回ずつ演奏会に呼んでもらったけど、最終的にはトマ・オスピタルのオルガンに魂奪われて、いまさらピアノはもうダメかも……とまでは言わなかったけど、オルガン!と笑われた時点で、たぶんもう見透かされたね。

行けば行くほどヨクなる、の法則については、いまさら検証の必要も感じないしさ。仕事で会いに行くひととのご縁を楽しむ、というのは、演奏会に行く自分と必ずしも一致しない気もするのだ。

時間とエネルギーというだけではなく、もっと一期一会というか。そういう「流れ」をつくるためにイベントを吟味したり、予定を組んでチケットを買ったりして、わざわざ足を運んでいく。今年は、音楽ではなく勉強とか自己啓発とか資格系のそういう講座や勉強会・シンポジウム(交流会)やお教室にかよって、情報に振りまわされたり余計な人間関係やエネルギー観察に、あっというまにウンザリしたというか。ああ、書いていてわかった。私はちょっと怒っているのだ。自分のことは自分でどうにかしたいのに、人が集まる場所に、まるでヒツジの群れでも追うかのように、行かなきゃ損とか、自分が大切ならそっちへ行けとか、追いたてられて好きに扱われることに、私は怒っていたみたいね。

演奏会に行かない、というのも、その怒りの余波なのかもしれない。

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