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2016/03/10

仕事の選択

調子がいいとか悪いとか。
波に乗っているとか絶好調とか。
うっかり地雷を踏んでしまったとか。
いい感じだったのに、油断して石に躓いたとか。
そのせいで、ふと気づいたら道を完全に踏み外していたとか。

スリルとサスペンスというかね。
ワクワクしないといえばウソになる。

ただ、よく考えて欲しい。
それもこれも、ただのマイストーリーだ。
自分の人生の物語だもの。誰だって、できればかっこつけたいしね。
ドラマチックな要素をできれば盛りこんでみたくなる。
あるいは、波瀾万丈のスパイスとか。

ぜんぶ妄想。
妄想ってコトバは少し手垢がついた気もするけどさ。
思い込みとか既成概念とか言っても良いかと。

山あれば谷ありとか。
人間万事塞翁が馬とも。
禍福はあざなえる縄のごとしって、もろにそうね。
楽あれば苦あり。

それだって、ぜんぶ既成概念。
とはいえ、人の心って不思議なもので、ああいまが絶頂だなと思うと、思ったとおりの「次の展開」がやってくる。絶頂が素晴らしければ素晴らしいほど、それに匹敵するような暗転がないと「物足りない」って思っちゃうもんだよ。うん。

それだって、ぜんぶ妄想。
なんでそんなこと書くかというと、私のメンターとも呼ぶべきおひとがいて。
ところが、そのひとに会える!と思って期待すればするほど、すれちがう現象もよく起きる。

よく考えてみれば、すれ違いの元凶は過去6、7年でいつも同じ……というか、似かよった理由で予定が合わなくなったり、私がどうしても急な仕事や緊急事態で行けなくなったり。

でも、どうしようもなくって友人に代理を頼んで、代わりに会ってもらったときなんて、あとからその仕事を私が自分で引き受けていなくて良かった! 余計な火の粉を浴びずに住んだよ! という事実判明となったこともあったよ。

それもまた、妄想なのかもしれないけれどね。
はてさて。どうせなにを選択したところで、引き寄せられてくる「解釈」「余波」まで含めて、思いが清澄であればあるほど妄想の度合いが高くなるのなら、せめていちばん閃きを感じさせてくれる選択肢を選ぼう。

どっちにせよ、お金の問題じゃない。
プライドの問題でもない。
じゃあ、どうして私はこんなに迷っているんだろうね。
どう揉めたところで、過去数年の流れから行くと、どうせ相手はせいぜいあと一年とか二年とか、長くて三年であのカイシャを辞める。同じ業界に残るというのなら火種は残したくない。けど、それもたぶん、ない。

揉めたくないのは、それでいちばんダメージを食らうのはフリーランスの私だとわかっているから。精神に汚い仕事をする相手からのダメージを食らうって、いちばん被害としてはイヤらしい。それは避けたいよね。

ってことで、結論もだいぶ見えてきたじゃないか。
あとは、ひと晩寝て、朝になってから決めよう。

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2016/03/05

あなたは誰ですか

前にもおなじタイトルで、自分のなかでのヒッカカリを書き下ろしてみたことがある。

あのとき、自分なりの結論というか、モヤモヤに対する決着は仮の形だったかもしれないけれどつけたはず。いま思うのは、こういう「自分の輪郭」「主語」がはっきりしていない相手に対する苛立ちというのは、それがSNSという、新しくてそれなりのクセがあるエネルギーフィールドでの俯瞰だから、より強烈に、倍増される形で目につくのだ、ということ。

自分の内面を、古くからの定番である日記やノートに書き綴る。内面というよりは、願望であったり、自分がひきよせられるとか、憧れるとか、羨望をおぼえるという対象についての「つまみぐい」的な感想というか。

あるいは、クチコミ感覚で、目に触れた情報を「自分発信」でリツィート&シェアする。

そこに育まれている矜持とか、わけもわからずワクワクしているという無邪気な喜びのエネルギー。それは、たいていは「古いコミュニケーションの社会」の枠内で、先輩であったり、その道のプロであったり、そうでなくても「自分なりの好きのかたち」を摸索しているひとにしれみれば、公衆の面前でおこなっている垂れ流し的な露出にしか見えない。

つまりは「目障り」ってこと。
どうしてそれが目障りなのか、その理由を双方の立場で観察してみる。

同じ獲物を好む野生動物が、同じエリアで共存していくことはむずかしい。
要はそういうことなのだけれどね。

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