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2016/04/25

自分を応援したい

1年近くまえのことですが、お誘いいただいて、こういうものに参加しました。
音楽を愛する人のためのプレゼンテーション会

イベントを立ちあげるにあたって、企画の提唱・主催者である飯田有紗さんが最初に声をかけてくださった、というのがとっても嬉しかったのがまずあります。去年のこの時期、ちょうど「自分の心と声を使って人に何かを伝える」ということの大切さに、いろんな流れがフォーカスしておりまして、飯田さんからのプッシュがあったから何の迷いもなく「やらせてください」と手を挙げました。が、スピーカーとして「やってみたい」という気持ちは、自分のなかでスッと、もったいぶりで羞恥心が強い私としては珍しくも、抵抗がいっさいなしに立ちあがった。

それと、もうひとつ大切なこと。
根っからの一匹狼で、しかも自分で自分のワガママに振りまわされる日常。そういう私にとって、去年からこっち、不思議なくらい「仲間が欲しい」とか「刺激を与えあうメンターが欲しい」とか「友人たちとも、立場こそ違えど、対等な立場でのやりとりができるような関係性を意識したい」とか、そんなふうに思うことが増えてきました。

何から何まで(これは意識とか思考とか、インスピレーションという意味で)自分でまかなうのは、私にとって当然のことなんだけど、同じような感性で生きている、道しるべとか灯台守のような、そういう存在を見つけたい。

この「音楽を愛する人のためのプレゼンテーション会」は、提唱者でいらっしゃる飯田有紗さんは、もちろん折あるごとに仕事をご一緒する機会があれば嬉しい、というポイントについては言うに及ばず、そういう……なんだろう、私のような不器用で、でも可能なかぎり志は高く持ちたいと思っている人間が、共感し合える仲間を見つけるきっかけにつながりそうな気がする。ありがたいなあ、という気持ちが動いたのでした。

そして当日。
与えられた時間の倍以上もしゃべってしまったことは、これから尺が大切な場面でつねに思い出していくべき反省点。だけど、こういう内容をまた人前でしゃべる機会は、次があるかどうかもわかりません。
なので、リンクをここに保存しておこうと思います。
通訳というペルソナ

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2016/04/23

ジャッジするということ

心と魂の健やかさを保つ。保つという言い方がふさわしくなければ、取り戻す。

人や自分をジャッジするということはよくないことのトップ、とよく言われます。まったくもってそのとおり。なんだけど、自分のグラウディングがしっかりできて、自分と世界の調和を気持ちよく奏でることができる。そういう道筋に入っていくにあたって、よい悪いにかかわらず、ジャッジする・されるということを体感として、生きていく時間軸のどこかで、知っておくことは必要なんではないか。もちろん、それが「いまのこの人生」の時間内での計画内に入っているかどうかは、ひとそれぞれだと思う。けど、善なるものだけを純粋培養でえりわけた環境って、ウソくさいもん。

そのあたりのことを、ゆったりと笑顔で「ごめんちゃ」くらいに言えるほうが、人間らしいと思うしね。

私の知るなかで、そのへん、妙に几帳面で、いわゆる「スピ的にネガティブな言動」の匂いがちょっとでもしようものなら、眉をひそめて、相手のことを穢れているかのように、心のシャッターをおろす人もいるけどさ。あれは、知らずにor知ってて誰かの悪口をつい口にしたり、うっかり毒を吐いちゃった人の何倍も、感じが悪いよ。

自分一人だけ清らかでいたい。
気持ちは良くわかるし、責める気もない。
てか、こんなふうに書いてる時点で、私も「ああ、加減がむずかしい」と、かなりイヤな気分になっている。

つまるところ、イヤな気分を相手のなかであれ自分のなかであれ、引きだしてしまう。スイッチを入れてしまう、ということさえも、感じがよくないんだよ。ただ、そこを突っつき始めると際限がない。

際限がないのだけれど、いちどはそういう作業を体験したひとって、上記の「ジャッジすること」の罪深さを、より深く知っているというのと同じように、器が大きくなっている、かもしれない。

いろんなことをカラダとココロを動かして、やってみたあとで言えることもたくさんある。そして逆に、やってみたから偉いということでもない。

ああ、そのへん。
三次元を生きる人間の生命の矛盾と、同じような……やるだけやって、飽きたら次へ行く。そういう仕組みも、ある程度体験したら、さらにシフトアップするんだろうね。

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