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2016/05/25

視点を複数持つということ

ピアニストだったときの私は、かけだしのまま右も左もわからず、それでもひたすら走らなければならない。そんな自分を持てあます日々だった。

翻訳者としての扉が目の前で開いたとき、それまでの「四十年間は下積み」を覚悟して修行に励んでいた音楽の世界にくらべると、なんと楽ちん……というとコトバが悪いね。成果が目に見えやすい世界であることに欣喜雀躍となりました。が、そのへん、私の「芸風」と追い風乗りまくり!の気分が妙にちぐはぐして、よくも悪くも「出る杭」という扱いをしてもらったかなあ。

少しキャリアが安定したかというあたりで、思いもよらぬ挫折というか、風当たりの強さにふと気づき、気づかなければそのまま波に乗ってしまったのだろうけれど、やはりワタシ自身もどこかで「これでいいのか、本当に」という、そういう意識があったのかもしれない。うっかり地雷を踏んだり、つまづいてスッ転ぶことが続いた。

ここで獲得したレッスンは、ひたすら七転び八起き、ですかね。

いろいろあったけれど、分析してみる気分にはまだなれないので、そのへんはあとに回すとして、いまの心境は、あらためて自分が楽しいことを摸索してみたい。

たとえば、通訳仕事を始めてすぐの頃は、やりたいことよりも、やりたくないことのほうがたくさん見えた。知らない人といきなり流暢なコミュニケーションを取ることを求められても、そういう「上っ面」とか「殺陣(たちまわり)の自己満足」みたいな芸を自分の持ち技にしたくなかったしね。ピアニストの卵だったころに刷りこまれた「清濁あわせのむ、をヨシとしない」信念は、思った以上に自分の根っこのさらに根っこに根を張っていて、だから、自分からあえて泥水を飲もうとする人種が半径5メートル以内に入ってくるだけで、吐き気がするほど苦しくなった。

アメリカのセレブ気質……というカテゴライズの精神構造なひとたちと、接点を持たないこと。それは間違っていなかった、という気がする。あらっぽくまとめるなら、どういう人が目の前にいるにせよ、睡眠時間を削って奉仕するorされることを当たり前と思う人種とは、かかわりあわない。そういう世界観で自分は生きる。

ま、たまに口をきくくらいは、よい刺激をいただけるからOK。でも、そういう人たちは「永遠にトップクラスを目指しているひとたち」であって、満足することは決して自分自身の生き方に満足することはない。一緒にいるだけで、苦しくなることは必至だね。

いろんな視点が共存する。そういう世界にいられることは、いま思うと、大変に幸せなことなんだよね。

意地悪だったり、気難しかったり、逆にとても気さくで優しかったり、そういう第一線の人たちとふれあえる。同時に、避けては通れぬ「オトリマキたち」とも上手につきあうこと。シャープで柔らかい心もどこかに維持しつつ、フラットでオープンマインドな自分であろう。自分でも一緒にいて「この人なら、らくちん」と思えるような、そういうひとになろう。

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2016/05/15

表裏一体

たとえば、巻き込み型と巻きこまれ型。

私は自分のことをどちらかというと「巻きこまれ型」だと思っておりました。ところが、そういうアンテナをカタツムリの角よろしく出しっ放しにしていると、ふとしたハズミで出会ってしまう「巻き込み型」のひととの共鳴が尋常ではないことになる。陰と陽。つか、根っこは同じひとが、光を選ぶか影を選ぶか、それだけの違いだからね。

どうなるかを、ひとことで言うと、具合が悪くなる。
苦しくなる。しんどい。ぐるぐるしてしまう。

でもって、そういう状態のきっかけや理由、責任の所在を求めることの無意味について、最近はまたいろいろと学習してきたせいで、誰のせい、と言い切って楽になることもできない。

ちょうど、人生のいろんな流れがリンクしてきているしね。こういうとき、心の揺らぎが身体の不調なって表出するなら、おそらく病気の種類としては「自己免疫不全」のものになるんだろうね。自分で自分を攻撃して、そこで出てくる膿みとか毒とかまで、何から何まで自分のなかに溜めこんでしまう。

自己免疫疾患(ウィキペディア)

とほほ、でござるよ。
私の家系、自己免疫疾患で命を落とした人がたーくさん。

だから、ひとつしかない自分の命を守るためにも、そういう「自分を責める」スイッチを入れてしまうのを、まずは自分でやめること。そのへん、言葉で書き綴る以上に、感覚の領域になるような気がする。無闇と情報をひととシェアしたがったり、垂れ流しにしたがるひとと距離を置く、と決めること自体、ほんとのところからのズレを生じさせているんだよね。だから、そのへんは言葉にする(波動が低くなってしまう)のではなく、今日の空の雲でも眺めながら、ぼーっと自分の潜在意識に向きあって、しみじみと受容していこう。

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