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2016/10/26

電話が苦手になったきっかけ(前エントリーの続き)

書いてみると納得する。

電話というツールが、私にとって「いまを生きていない」という状況をまねきがちのものとなった。それだけのこと。本来は私も長電話がキライじゃなかった。

けど、たまたまある時期、最初から「長電話すること」が目的で電話をしてくる友人が増えたんだよね。もしかすると、それは自分が招いた事象だったのかもしれないけれど。

いま大丈夫? と訊かれれば、ああゴメン、と言うような場面でさえも、なまじトークというか、自分の話をうんと長いことかけて話すことが得意で、しかもマニアックなお友達だと、何やら「こいつならいくらでも話を聞いてくれる」みたいな、思い込みのパワーも強烈でね。

何度か「起きてる時間はほどんど電話に繁がれている」みたいな日を重ねた。電話をキライになったのは、その反動もあったな。

つまり、電話に対しても「きちんといまを生きる」ことができるのであれば、私のこの苦手意識も消えるだろうってことだわ。ふーん。

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自分の苦手を考察する

電話が苦手になったのは、いつの頃からだろう。
携帯電話がどんどん普及してきたのにあわせて、屋外で使い慣れない機械にオタオタしながら、相手の声が聞こえないというストレス&自分がスピーカーにきちんと声を送っていない、という不安にびくつき、さらに携帯電話での用件というのがたいていは「いついつのご予定はいかがでしょう」という、よく知っている相手ならまだしも、いきなり誰それから番号をもらってかけてます、という会ったこともない相手からの、どういう仕事なのかもわからない問い合わせに答えることへのストレスに疲労した、というのが大きい。たぶん。

で、よく考えてみると、いつから日本では「いきなり知らない相手からのコール」に応えることが、社会人としてのプロトコルというか、それができないと人間失格……みたいな概念がここまで大手を振るうようになったのだろう。

むー。そんな概念、ごく一部での妄想でしかない、というのが真実であったりする。
知らない相手であったり、知ってる相手であっても、デートの誘いと同じく、こちらのタイミングがあわないなら電話に出ないことも当然の選択肢として許されるはず、なんだよなあ。

誘ってくるほうは、行動をおこしているわけで、そういう意味では受け身のこっち(この場合)よりも、パワーと道理という味方がある。それだけのこと。

電話をかける、ということは相手の時間を奪うということ。
この大原則を私は腹の底にかかえている。だから私はまず、自分へのコールがいやだという以上に、きちんとした用件(これはどうしてもその相手と話したい、という気持ちの動機であってもかまわない)でもないのに誰かに電話するのが、あるときからとっても苦手になった。

これからそこを、直したいと思えば、きっとこの「思い込み」も修正される。
いまはムリに変えようとしなくてもいい、かな。うん。

同時に、手紙についてもね。
私の中には、びっくりするくらい筆まめな自分と、筆無精で何年もご無沙汰してしまう(けど、その相手のことはめちゃくちゃ大切に思っている)自分と、複数の人間がいるんだね。

ふと思ったのが、筆無精であろうがなかろうが、私が私として「きちんといまを生きる」ことを積み重ねていさえすれば、あとのことはどうにかなる、ってこと。

言い訳を長々連ねたような気もするけど。
頑張っている私、とか、誠実な私、とか、あたまに形容詞をつけないといけない自分はどうせ本物じゃないってこと。うん、そんなこんなで本日のツレヅレを終わります。

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