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2016/11/13

無条件にご縁を楽しむ

名演奏ライブラリー

ラジオをつけっぱなしにして散歩から戻って、ちょうどイゾルテの愛の死が始まった。奏者が誰だか知らずに、そしてわからないならわからないでもいいや、と、それでも何か気になって聞き始めるというパターン、最近多い。先日は、わりとどっちつかずの解釈なれど、そうそう、こういう手垢の付いてない感覚で弾くのもありだなあ、と感心したスカルラッティ。あとでいちおう調べてみたら、仙台で同じ送迎バスに乗り合わせてほんの少し雑談して、どういう演奏するのかも知らず、でも無条件にご縁を楽しむというか、応援したいと思った若手のルカ・ドゥバルグだったので、ちょっと嬉しくなったとかね。

追記:
このところ、演奏会出不精の輪にハマっております。先月、ベロフさんに会ったときも「最近は演奏会にあまり行ってないでしょ」と断定されちゃったもんね。うーん、ラロックで毎日二回ずつ演奏会に呼んでもらったけど、最終的にはトマ・オスピタルのオルガンに魂奪われて、いまさらピアノはもうダメかも……とまでは言わなかったけど、オルガン!と笑われた時点で、たぶんもう見透かされたね。

行けば行くほどヨクなる、の法則については、いまさら検証の必要も感じないしさ。仕事で会いに行くひととのご縁を楽しむ、というのは、演奏会に行く自分と必ずしも一致しない気もするのだ。

時間とエネルギーというだけではなく、もっと一期一会というか。そういう「流れ」をつくるためにイベントを吟味したり、予定を組んでチケットを買ったりして、わざわざ足を運んでいく。今年は、音楽ではなく勉強とか自己啓発とか資格系のそういう講座や勉強会・シンポジウム(交流会)やお教室にかよって、情報に振りまわされたり余計な人間関係やエネルギー観察に、あっというまにウンザリしたというか。ああ、書いていてわかった。私はちょっと怒っているのだ。自分のことは自分でどうにかしたいのに、人が集まる場所に、まるでヒツジの群れでも追うかのように、行かなきゃ損とか、自分が大切ならそっちへ行けとか、追いたてられて好きに扱われることに、私は怒っていたみたいね。

演奏会に行かない、というのも、その怒りの余波なのかもしれない。

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2016/11/07

コチシュ

SNSで訃報を知る。→●

享年64歳!
現役の、しかもハンガリー系のピアニスト。
ヴァイオリニストもそうだが、音の肌理というか、触れれば血が出そうな、生々しさが感じられる、というのが私にとってのハンガリーの名手たちのイメージ。

ハンガリーの3羽ガラスと呼ばれた(もしかすると日本だけでの固有の呼び名だったのかもしれぬが)人たちのうち、若い頃は「理屈っぽさ」とは適度な距離のある印象だったラーンキがわりあいと好きだった。正直なところ、すでに売り出し中で招聘や主催者たちの好みや要望の洗礼を受けつつあるピアニストだったラーンキより、コンクールを受けにきたときのイシュトヴァン・セーケイの演奏のほうがさらに好きだった。が、中庸をゆく(というイメージを選びとることでのメリットを享受していた)アンドラーシュ・シフが、いつのまにか日本ではやたら巨匠あつかいされるようになり、そのくせ、態度だけはデカいという印象の演奏(中身のわりにえらそう、ってことね)のくせに、予想をはみ出すようなオーガニックな驚きが皆無のシフの演奏は、私はどうもノーサンキューでしてね。

対象的に、コチシュの知的でありながら豪腕というか。
シフがひっくり返ってもできないような、多方面からの音楽人生。ま、それだってあくまで私的なイメージですがね。コチシュの演奏が気になるようになり、いつしか大好きになってきた。

イヴァン・フィッシャーひきいるブダペスト祝祭管をナマで聴きたい。
そう思うようになったのと前後して、コチシュのナマもぜひ聴きたい。追いかけたい。これからの人生の私の楽しみのひとつ。

と意識するようになっておりました。
64歳って、早いと思う。
けど、早いと思われる時期に天国に召される。そういう人ならではの人生であり、音楽家としての歩みだったのだと思います。

どうぞ安らかに眠ってください。
下界の音楽エネルギーの今後も見守っていてくださいね。

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