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2017/09/22

ウェルズとかアシモフとか

進化したロボットが人間に仕えていく社会。
風刺的な初期SFでよく扱われたテーマです。

さらに、コンピュータもしくは人工知能に何がどこまで可能なのか。
だいたいは、人間は「じぶんたちに扱いきれないモンスターを背負い込む」という、危機感をあおるような物語になっていくのかもしれないなあって。ずっとそう思っていた。

人工知能の権威レイ・カーツワイルが、グーグルで「メールの自動返信」を開発する本当の狙い

いい記事だなあ。
じっくり読ませてもらおう。

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2017/09/19

クラシックカフェ

月曜日だったかな。
朝の再放送を聴いていて、最初の古楽がコレッリ?テレマン?イタリアバロックは確かだけどなあって、ヴァイオリンしかもバロックヴァイオリンのレパートリーについては万年シロウトな私はつぶやきながら、それでも聞き入ってしまってな。演奏は端正で、むちゃな主張はしない系統。と思ったら、寺神戸さんのコレッリでした。

そこから少し、あれこれ聴いて。
散歩に出てからまた聴いて。

なんか今日の曲目、どれもいい感じだなあ。
耳がホッとする。
(もちろん、窓を閉めて音質とかにこだわって聴くのとは別のレベル)

で、以下にそのときの曲目を番組サイトからコピペ。

「フォリア」 コレッリ作曲
(11分05秒)
(バロック・バイオリン)寺神戸亮
(バロック・チェロ)ルシア・スヴァルツ
(チェンバロ)シーベ・ヘンストラ
<日本コロムビア COCO-70459>

「ハープと弦楽のための舞曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」」
ドビュッシー作曲
(9分44秒)
(ハープ)フレデリック・カンブルラン
(合奏)ジャン・フランソワ・パイヤール室内管弦楽団
(指揮)ジャン・フランソワ・パイヤール
<BMG BVCC-9366>

「バレエ音楽「ラ・ヴァルス」」 ラヴェル作曲
(11分58秒)
(管弦楽)パリ管弦楽団
(指揮)セミョーン・ビシュコフ
<PHILIPS PHCP-5182>

「歌劇「ファウスト」バレエ音楽」 グノー作曲
(17分45秒)
(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ヘルベルト・フォン・カラヤン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON
POCG-9666>

「リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲」
レスピーギ作曲
(17分56秒)
(演奏)イ・ムジチ合奏団
<PHILIPS UCCP-3062>

「ガランタ舞曲」 コダーイ作曲
(16分32秒)
(管弦楽)シカゴ交響楽団
(指揮)ネーメ・ヤルヴィ
<CHANDOS CHAN 8877>

「バレエ組曲「眠りの森の美女」から「序奏とリラの精」
「パノラマ」「ワルツ」」チャイコフスキー作曲
(11分50秒)
(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)ジェームズ・レヴァイン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON
POCG-9613>
*****************************************
散歩に出たのはドビュッシーの途中から、帰ってきてワンコの餌やりを済ませる頃にはレスピーギになっていたかな。こういう演奏をBGMぽく聴くのが嬉しい時期みたいね。

番組のナイス・セレクトに感謝。

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2017/09/16

朝のFMでクラシックを聴く

習慣というほどでもないな。かなりゆるゆる。
タイマーでラジオがついても、散歩に出て不在ということもあれば、夜更かしして意識がない(=熟睡・朝寝坊)ということもあるわけです。

月曜日の「きらクラ」は、おもしろいけど情報とか発想の偏りが鬱陶しくて、つけても消しちゃうこともあり、土曜日も番組は違うけど同じくつけても消しちゃうことアリ。日曜日の現代音楽も然り←これは逆にボリュームを上げて真剣に聴いちゃう日もあるんだけど。

で、聞こえるか聞こえないかの、窓を開けていると我が家は街道沿いなので、外の音でラジオの音はすぐ横にいても切れ切れにしか意識に届かないこともある。演奏音源を流すとき、曲が何かに気づいて「あら」と思っても、演奏者名のアナウンスはたいてい聞こえません。

そこがかえっておもしろい。
アルゲリッチも、友達とよくそういう遊びをするそうですが。
ってか、ベロフさんと銀座のアップルストアに遊びにいくと、いっときピアノの演奏音源をググっては、音を消して「このひとは何を弾いているか」とか、当てっこしたもんな。わたしも(笑)。中村紘子さんのカレーのCMは、さがしてもなかなか出てこなかったりで、代わりに出てきた演奏映像で好き勝手コメントつけたりするのもやりました。はい懺悔。

そして最近。
ベートーヴェンのソナタとか流れてきて、わりと突っ張ってるあんちゃんっぽい感じがするなとか。でもこのセンス、この音、キライじゃないぞとか。アンスネスとかアンデルジェフスキとかだったら多いに見直してやってもいいな(ナニサマ)とか。そう思ってきいてたら、意外とアラウでしたとか。ゼルキンでしたとか。

ぎゃー。じぶんの耳と心が今様にというか、寛容になったかもしれないって、期待してたらソレかよ。つか、アラウって、こんなに若々しかったっけ。いや、じぶんが歳とったってことかなあ。

ってことで、てへへ、と笑う。

また別のあるときは、ショパンのポロネーズが流れてきて。
ラジオのボリュームがそのときはかなりしぼってあって、音の表情とかツヤとか、きちっと骨組とか解釈は聞こえてこない。もしくは、録音がイマイチなのか。

でもまあ、きちんと聞くと上手い・かも。
だが、ちゃらい! ちゃらいぞ。
こういう演奏は、どこの誰がやるんだろう。
録音技術のセンスがばつぐんであれば、そして私がじぶんの知らぬ間に心を入れ替えていたら(?)、万が一にも日本人の女性ピアニスト……いやいやいや。ありえんでしょ。そこまで私はじぶん(の過去)を否定するのか。

ほんの十秒ほどで、心のなかで恐ろしいほどの葛藤がありました。

だって、ちゃらいよ。
これを、ちゃらい、と言ってしまっていいのかも自信ないけど。

固まっていたら、たまたま横にいた相方が、気をきかせて自分のパソコンで番組表を調べてくれた。

ショパンのポロネーズ?
サンサンサン?
へんな名前。

いやん。
サンソン?
フランソワ?

ちゃらいってさー。
わたしってばよー。
その場でしゃがんで頭を抱えこみたくなりました。。。

いやまあ、まちがっちゃいないんだけどさあ。
録音が……って、フランスEMIだろうね。
60年代だよね。
私の胎教……おかーさんのお腹でさんざん聞いたはずの音源だ。

ちゃらいんだ。
人生、出直してまいります。

ラジオさん。
すごいタイミングだよ。ありがとう(かな?)。

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2017/09/14

ギアチェンジ

力加減というのが近いかもしれない。
シフトチェンジというよりは、ギアチェンジ。

生き方とか暮らしぶりとか、そういうもののドライブ……とも違うかな。
そもそも「生き方」なんて立派なもの、意識した途端にこわばって緊張してしまう小心者どすねん。

でもここ数日で、何かが変わった気がする。
何かを「すべき」とか「しなきゃ」というのが、きちんと思念の多重スクリーンに映し出されているうえで、そういうのがどうでもよくなった、というと言いすぎかな。どうでもいい、という言い方にもまだ力みがあるからさ。

ダラダラと過ごしたければそれも行動。
くるくると動きたければそれで意識が磨かれる。
人に言われてやるのも悪くない。それでエゴの風通しがよくなる。
じぶんがグチャグチャして切なくなったり哀しくなるのも、それはヒトとして経験することがたくさんある、という証し。

そのへんのコトバも、ぶっちゃけ後付けな面が強いけどさ。不思議なことに、そういう心境になったとたん、以前に気になって、そういう「足元を見られる」「じぶんでじぶんが認められない」という不条理もしくは無常なマイストーリーをこしらえてしまっては消化しきれないことを悩んだ、そういう対象とかヒトとか競争論理みたいなものが、ほんの一週間とか一か月とか、わりと短期間でぶわっとまた「またお目にかかりましたね」となったりしてさ。

おもしろい。
以前はそういう事柄や感情を「くだらない」「目に入れない」「近よらない」と、ことさらに「君子危うきに近寄らず」とか「交わりは淡い水のごとし」と呪文のようにとなえて、じぶんをすっきりと保とうとした。

それはそれで効果があった。
ありがたいとも思っている。

いまは、そういう経験や感情の反応、すべて含めて「それがあなた(=わたし)」なのであって、他の誰にも到達できないじぶんにたどりつくための道、なのだと認識するようになった。道はね、すべての道はローマに通じる、というのと重なる意味合いに置いて、だれの人生も似たような、あるいは同じ道なのかもしれない。ただ、歩いている私は、そしてその道行きは、ほかに同じものはありえない稀有なものなのだ。

で、ギアチェンジ。
ギアをシフトすると、おそらくは見えてくる風景がかわる。
体感温度(かな)が変わる。たぶんね。

引っかかりを憶えて立ち止まる他者(それだって、視野に入る対象ってことで、ぜんぶじぶん。じぶんの世界)は、ほぼ確実に「イマココにいない」とか「何かを形にして遺す」ひとたちであって、そこに引っかかるってことはつまり、私も何かの「形に拘っている」のと、矛盾する「形に拘ることを正しくないと思っている」という、そこらへんが反応しているんだね。

形にするってことは、認められたい。じぶんはエラい、他と違う、というエゴとか、価値観、ジャッジからきている。そのこだわりを消すというよりは、透明になりたいと思えば思うほど、表裏一体の「認められたい欲求」も強烈になってきて、見ないふりをしようとすればするほど、ヒトから軽く扱われたり、じぶんでじぶんが嫌いになったり、剽窃することでじぶん(って誰かはあとで考えよう)を踏みつけてくる才能が次から次に目の前に登場してくる。そのことを私は……知った、というよりは「夢で見た」かな。

覚醒。うん。
それで何が変わるというわけでもない、とも思う。
ただ、じぶんの世界観が一瞬ごとにクリアになっている。

三秒でうなずいて。手のひらを軽くあわせる。
よし、はい次。

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