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2018/01/27

Amazonでのレビューにおける匿名性

ものすごく「生きていることがしんどい」という時期。
私は、ピアノを弾くことですっきり。感情(カルマ)を昇華させた、という言い方もできますね。

が、ピアノを弾かなくなってからは、なかなか「これ」という打つ手がなくってね。いま振り返ってみても、節目節目で、どうやってサバイバルしてきたのか、すでに記憶がなかったりする。これ、憶えていたくない、ってことね。たぶん、いちばん苦しかったときだと思うけど、メンタルクリニックに行ってお薬だしてもらおうかな、って呟いたら、相方に「それもアリかもしれないよ」と言ってもらって、うん、今日すぐ行かなくても大丈夫、ということを何日かリセットして、結局は行かずにやりすごした。医師に処方してもらう薬でなくとも、そのまえにお酒を飲んで神経を少しマヒさせる、というのも十分アリ、なわけだしね。

翻訳とか人と会うとか、しごとするとか、家事するとか。手作業するとか、作業でなくてもともかく手を動かすとか。外に出るとか。近所を散歩する。ものを書く。

うん、この「ものを書く」が、ピアノを弾くほどではなかったけれど、けっこう効いたのかもしれない。[※]いつか付記したいこと、というアンカー。これは、ピアノを弾く、とか、ものを書く、という自己完結状態からサトリの変容にうまく移行できず、どうしても自家中毒状態に陥ってしまう才能の持ち主でありながら、併走者(エージェント、出版者、プロデューサー、など)に恵まれず、そこで精神的な自傷行為にハマってしまうひとたち、のことについて。

わりとケロッと忘れていたけれど、そういえば、Amazonにレビューを書くことで「どうにか自分を保った」時期もあったなあ。そう思い出して、密林のアカウントを久々に開いて見た。

開けてビックリ。
ほぼかっきり1年ほどのあいだで、書いたレビュー数はけっこうなもん。そして、いま読み返しても、けっこうオモシロい。さすがプロだね。ってか、〆切とか編集者とのキゲンを取ったり取られたりとか「出版社といってもうちはもともと……(工場とか卸とか、商売ブランドの名前をどういれてもOK)」とか「あなたの先生は、自分から持ちこんだ企画から勝手に降りたからもはや私たちのブラックリストに入った」などというどす黒いなコトバでの暴力を振りかざす相手とやりとりすることそのものが死ぬほどイヤだったので、名刺から「ジャーナリスト」「評論」「翻訳」といった、紙にまつわる肩書きをキッパリと消し去った人間。これは、はたしてプロなのか、アマチュアなのか。

ま、いいや。
これ、知らない人としてこのレビューを見たら、ひそかなファンになりますよ。じぶんのことだけど、まるでじぶんじゃないみたい。オモシロいねえ、この感じ。よく、作家さんが、長期経年のすえ、ふと手に取った本を読んだらめっちゃおもしろくて「誰だよ、こんな傑作を書いたのは」と思って表紙を見直したら自分だった! というけどね。ちょっと似た感じかも。

が、並行して、自分の名前を出したうえで刊行された原稿だと、いろいろとね。作りこみ、鍛え、磨きあげ、完成度はあがっているけれども、もはや素の自分がちょこっとだけ、という気がする。いや、そっちだって、いま読めば「いい書き手だ」って感心するだろうけどさ。

けっこう、翻訳書の訳文について、忌憚なく「ホントのこと」を書きまくっているし。それに比べると、音楽それもピアニストの録音については、かなり取り繕っているなあ、とも。我ながら、そのへんの距離感の作り方が、さらに愛おしい、というか。ツンデレ感がモリモリで笑える。いいなあ、こういうひと。自分以外にも、もうひとりいたら、親友になりたいよ。親友は無理でも、マネジャーやってあげたいよ。まったくねえ。

それもこれも、Amazonでの匿名性がね。いい感じの化学反応になっているんだな。むー。まあ、そもそも「名を名乗れ」と言われて名乗ったところで、その名前さえもどこまでが「ただの記号」なのか、ってことも、この際だから考えたほうがいいんだけどさ。それはそれ。

つれづれかな。

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