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2018/03/18

じぶん、じぶん

いまの自分。自分のありよう。どこを目指すのか。目指さないのか
どういう風景を見るのか。何をするのか。しないのか。

引っかかっているのはこのへんです。
具体的にいうと「No music, no life」という基本線は変わらないと思う。ただ、じゃあ「演奏会に出かけていく私」とか、お金を払って何かする私、かな。

音楽会ってのは、依存性がすごく高い娯楽ジャンルなんですよ。行けば行くほどよくなる。もっと欲しくなる。それなしでは自分に価値がない、とまで、いつのまにか思いこむようになる。音楽に限らず、なんでも「ハマる」ってそういうことなのかもしれないけど、ライブとか興行ってものはね。自分だけでは成立し得ないものなのに、そのことを忘れさせてしまう。そういう方向に「持っていかれる」傾向が強い。

そのへん、何がいいとか悪いとかではなく。そういうものだよ、ってだけのこと。それ以上でも以下でもない。

で、私は「誰かがこしらえたテーマパーク」としての音楽も、ものすごく好きだけどね。自分で自分のテーマパークというか、自分の足で立って生きていく演奏家になる、って決めて、そのことばっかり考える時代を経て、ああもういいや、とイチヌケしちゃった人間でもある。

というか、たいていの人は多かれ少なかれ、何かからイチヌケしていまの人生を歩いている、という考え方もありです。はい。そうなると、イチヌケしたことに気づかずに生きてる人たちがハマるようなエンタメとか、テーマパークってのは、もういっぺんハマるのには抵抗がある。ってか、わざわざ二度手間することになるんだもんね。

自分で自分の経験や感性を活かした上で、まったく新しいテーマパークをつくるぞ! という、山師的な隠れた動機があるならともかく。

ああ、そのへんがいまの私のテーマと言うことか、と。書きながら少し納得もしておりますが。そのへん、決めちゃわない。考えない、というフェーズにこのところ差しかかってきてもおります。

3月になってすぐかな。1月末の発売日から数日というところで、吉祥寺のPBCへ出向いて「入荷してますかあ?」と、わざわざお店の人に探してもらって(一冊だけ入荷していた本を台車の奥から発掘してくれた)購入した一冊の本。

『キンノヒマワリ ピアニスト・中村紘子の記憶』だったかな。集英社から出た本。著者は高坂はる香さん。

2月はバタバタしていたというのもあって、この本を寝かせてあった。2月末から3月にかけて、香港に遊びに行ってきました。そのへん、機会があればブログにまとめて書くかも、です。が、香港から戻って、まっさきにこの本を手に取って一気に読んだ。

通訳業務の経験を積んだということとあわせて、翻訳師匠の堀先生とか、それ以外の友人や知人が、メディアに登場する。もしくは、インタビューなどの記事の露出が続くのを見ているうちに、ジャーナリストが「取材」する。そして「記事を書く」の、ワンクッションのあいだに、どういうフィルターが、クッションが機能しているのかということを、何十回、何百回となく目にしてきました。とくに、音楽ジャンル。文学ジャンル。フランスなんでもありのジャンル。

中村紘子さんに対して、同じ井口門下で学んだピアニストあがり(さがり、という説もあるw)の私は、どう接してよいのか最後までわからぬまま、それでも通訳としては「あなたの話す日本語がすばらしい」と、何回も、面と向かってお褒めのことばをいただいた。ありがたいことです。

この「どう接していいのかわからない」は、私の長所でもあり、短所でもある。たぶんね。そして、高坂さんが書いてくださった本を読んでいるうち、それで良かった……みたいな。一冊の本をこんなふうに、自分勝手に読んでしまうことに対して罪悪感のようなものが生まれたほど、ああ、そうだったのか、というような、変な気づきが幾つもありました。

メディアや、誰かのフィルター。それを通すことで明晰に見えてくるぶぶんと、かえって「わけがわからなくなってくる」ぶぶんがあるものです。中村紘子さんについても然り。というか、彼女の場合、露出する情報やコトバについても、あのセンスでものすごく鋭く繊細に「その表現はダメ」みたいな、ある種の検閲や牽制をなさっていたはずなので、出ている記事についてもね。よくも悪くもダイナミックでクセの強いものになっていたのであろうなあ。

なので、私が「どう接していいのかわからない」というのは、ある意味では双方向。あちらにとっても、つかみ所がないというか。使い甲斐も、育て甲斐も、どれもイマイチ。おそらくね。刺激や情報を得るということについても、あいだに私の友人がひとり入る、くらいでちょうどよかったのかと。そういう距離感。

他にも、一冊の本にまとめられた記録を拝見することで、ほぼ1週間くらい、自分のなかで「井口門下、桐朋出身、そのままの枠にとどまることに耐えられず海外に留学(脱出)」という面に共鳴・不協和音がそりゃあもう、たくさん発生しましてな。けっこう辛かったよ。

その後、3月9日(金)にHakujuホールでのチェロとピアノのデュオリサイタルを聴きに行き。これは中木健二&松本望という、二人そろって藝大出身。その後フランスで学んだという点は「共鳴要素」なんだけど、私の中のイメージという意味では、みごとに「藝大出身の演奏家ふたり」というスタイルにハマる2時間でした。いい意味でね。

そしてその1週間後、3月16日(金)は紀尾井ホールで、鈴木理恵子&若林顕の演奏会を聴いてきた。こちらはもう、桐朋出身のおふたり。正確には、ピアニストが「井口門下をかすめる感じで育って、藝大で田村宏先生に師事。のちに桐朋で教える」で、ヴァイオリニストが桐朋系。いやあ、こういうふうに音楽を聴く自分。

いろんな聴き方があっていい。
そういうこと。

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