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2018/04/14

ラローチャとアラウ

どっちもね。ラテン系の「ピアノの音」を代表する巨匠。すでに物故者である、という意味でも、まっすぐなリスペクトと「時代の流れ」という両面から語りやすい、という共通点もある。スペインとチリってことで、同じような「南米系」とまとめてしまうことは、リスペクトという概念を逆立てしている面もありますけれど。

昨日だったかしら。
おなじみラジオの「クラシックカフェ」で、ラローチャが弾くグラナドスが流れた。その直前にギターでのアランフェス、そしてハールでの……なんだっけ。スペインもの。こっちの演奏はメストレ(発音まちがい。何回ソニーさんに訂正コメント入れても←本人がね。なおさない。よっぽどごめんなさい、まちがえました。新しく名前を覚えなおしていただくのはお手数でしょうが、正しいお名前の呼び方はドゥ・メストルです、という手間が惜しいらしい)。

スペインもののCD録音した時期は、もう何年かまえになるけれど>グザヴィエ。いま聞いても達者でセンスの良いハープです。力業、といってもいい。こういうふうに、ふとしたタイミングで流れている音源をラジオできくと、それでもずいぶんと軽い感じに聞こえてしまうのは、ギターを挟んだとはいえ、ラローチャのピアノ演奏につなげられたというのも大きいかもしれない。

そしてラローチャ。
何度も書いていますが、録音で聞いていた十代の頃は、その味わいというか、瑞々しさと切れのよさ、染み入ってくるような深くて、なおかつハジケる音と、おしゃれでどこか時代がかってはいるものの、重たくならない音楽構築の奥行のすごさが、それほどはよくわかっていなかった。たしか87年だったか、スペイン国境(バスク)のサンジャンドリューズでのリサイタルを聴いたとき、ルヴィエが(あのルヴィエが)デ・ラローチャのことを「ラ・ピアニスト」と言い直してね。あの頃は、アルゲリッチよりもだんぜんラローチャ、という女流のピアノのモードだったってことかもしれない。

アルゲリッチはと言えば、同じ頃にやはり同じサンジャンドリューズで、ベロフさんとサロンでデュオを弾いて、それを聴きに行ったときに、あまりに……学生の審美眼はともかく「完成度」とか「音の美しさ」というパーツからジャッジしていくからなおさら、悲惨なぶったたきのデュオに泣いた。けど、同じくらい、ラローチャのリサイタル……たしかバッハとかスペインものがほんの少しと、あとはロマン派……なんだったろう。ショパン、という気がしない。シューマンとかだったような気がする。

パリの音楽院のルヴィエクラスを、変速スピード(ホントは5年間いたかったんだ。なのに試験を控えるといきなり、自分のヘタさにあきれて、思わず8割ぐらいのギアが入ってしまった)で卒業して、生意気盛りだった私は、ともかく小さな手の伝説的なスペインのマエストラに、わりと「けちをつける気満々」で会場の学生招待席(めっちゃいい席だった)についたと記憶。あれは、打ちのめされるというのともちがう。あのころは、どちらかというと「自分の武器」を戦略的につかって演奏をプロデュースしていたまだ中堅だったピリスのほうが、頭で好き、という感じだったから。

ところが、ひたすら、2時間の演奏中ずっと、流れるような豊かな水源の音を体感するかのような、そういう心地よさだけが続いた。曲の解釈がどう、とか、フレージングがどう、とか。そういうところを注意して聞く、ということさえもアホらしい時間。その時間を濃密とか、すごい、とか、感動とか呼ぶのもまたちがう。

ともかく、私の知っている世界とはちがう。なのだけれど、そのアクアリウムのような、水底のような場所にひたりきっていた。

アラウと違って……というのもすごく傲慢な言い方だけれど、アラウと違って、あの「おかみさん」のような、気っぷの良さは、女性であるラローチャならではのものであって、しかもあれは私のなかにはない「女らしさ」。相容れないって思ったさ。まねしたくもない。

あ、だからこそ、スペインでラローチャのレッスン受けた、みたいな日本人ピアニストの演奏は、ラローチャの薄っぺらいコピーにしか聞こえなくて、消えろとか失せろとか目障りとか、反射的に思うけどね。いまでも……はわからない。

というのも、昨日、ラローチャの演奏をきいて、あのときのような「見知らぬ世界の音」という、異物感が数十年を経てきれいになくなっていることに自分で驚いたから。どちらかというと、聞いていて耳にもココロにも、ひっかかりとか抵抗がまったくない。まるで自分の内部宇宙にそのまま音が外から水滴のように飛びこんできては、すーっとなんの違和感もなくおちていき、同化しているよう。

不思議。
音楽がこんなふうに「自分」の声と同化するなんて。
おっと、もちろん、ラジオを通してきく「レコーディングされた音源」である。実物よりも、よくもわるくもスケールダウンして、ミニチュア的な輝きを強調されているはずだ。いまもしも、生きてるラローチャが目の前に居て音を出したら、三十年まえの私と同じか、それ以上に殴られるようなインパクトがない、ともかぎらない。

そんなこんな。

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