2015/11/24

武田百合子のエッセイ

朝、出かける前にお風呂をつかった。シャワーだと身体が冷えそうだからってことでね。ついでに、お風呂で読書派なもので、ふと見まわして目についたムック本を手に取った。

河出書房新社の文藝別冊
「武田百合子~天衣無縫の文章家」

巻頭にまだ赤ん坊の娘さん(花さん)を抱いて写っている武田百合子の、そのツラガマエ。まさに「ただものではない」というか。そして同じく巻頭に掲載されたエッセイの冒頭にガツンときた。以下に引用。

   ***

 小説『富士』を書きあげたあと、武田は脳血栓を患った。昭和四十六年の末だったと思う。幸い軽くて、日常生活に支障はなかったが、右手の力が弱くなり、判別しにくい文字を書くようになった。それをイヤがって、自分用のメモ以外、人様にみせるものは、ほとんど私が聖書、または口述筆記をするようになった。まだ口述筆記に馴れないころのことだ。ふきだしてくる蜘蛛の糸を頭の中で拠り紡いで文章にし、それを口までもってきて発音しようと、絶句したまま人の顔を(自身の手で文字を綴るより、はるかに不確かでまどろっこしい作業だ)、机に原稿用紙をひろげ、差し向いから不思議そうにみつめていたら、「そんなにみるんじゃない。そんな眼で人の顔をみるな」と、ひどく叱られた。一つ家に寝起きし、同じものを食べ、身のまわりの世話をしたからといって、口述筆記など手伝ったからといって、ものを書く人とのあいだには千里のへだたりがある。
 ものを書く人、絵を描く人、ピアノやヴァイオリンを弾く人、踊る人、そういった人たちは、自分とは縁のない遠い世界に住んでいると、小さいころから思っていた。文章は自分で書くものでなく、本で読むもの。ピアノは切符を買って聴きにいくもの。文章や絵や音楽の製造元の人になりたいと思ったことはなかった。趣味で文章を綴る、趣味で絵を描く――そういうことも出来ないような気がしていた。製造元の人と一緒に暮すことになってから、その気持ちはますます堅固になった。

   ***

 以上、武田百合子エッセイ「絵葉書のように」より、引用終わり。
 この距離感。そして言い訳めいたなかにひそむ、しなやかだけれど鋼のような矜持。私はこれをよく知っている。誰よりもよく、と頭につけてもいいくらいだ。

 ここに描かれているこの感覚。これぞインタープリターとしての意識の芽生えに他ならない。私はピアニストの世界では、特に早咲きでも遅咲きでもなく、わりとフツーの、とはいえそれなりの才能と出会いには恵まれた奏者だったから、最初に日本でフルプログラムでのリサイタルを(表参道カワイの、当時はまだサロンとしての体もなしていなかった喫茶フロア「パウゼ」で)やらせてもらったのは二十歳になる直前くらい……だったろうか。そのときでさえも「自分はピアノは弾くけれど、既存の作品を音にするのが仕事であって、それ以上でもそれ以下でもなく、つまり自分の作品を書くようになることは決してない」とわかっていた。そして、その頃にはすでに、ついたフランス人のセンセイがたからは日本人の学生(フランス語がまだよくわかっていない)がレッスンを受けに来たときの通訳として重宝がられることも多く、そのバイト仕事についても「自分の仕事にプライドを持ちながらも、あくまでそれは、口述筆記と同じような、レッスン内容を的確な言葉とタイミングで伝える役割・黒子なのであって、それ以上でもそれ以下でもない」と、肝に銘じて、そのうえで、道具として使ってもらえることが楽しくて楽しくてしょうがなかった。

 のちに翻訳を趣味のつもりで勉強したときもまったく同じ。
 なんだけど、武田百合子のエッセイはさらに続きがある。いやあ、やられたな、1本とられた、と苦笑。自分のなかにある引き出しをスルリとあけてみせる、この潔さ。千里の隔たりと書いておきながら、次の瞬間には「うそだびょーん」とばかりに、読者の期待をみごとに裏切ってみせる。しかも、そのみごとさ。呼んでいるこっちの腹の底を、よくぞそこまで見透かしてくれたね、という爽快感。

 私はそんなふうに照れとストリップしきったという、爽快感と脱力感を同時に味わわされたけどね。他の読み手も、どんな立場のどんな人生をいままで送った人であっても、おそらくは「誰かを支える」仕事をどんな短期間であれ経験したことがある女性なら、まちがいなくこのエッセイを読んで「これは私のことを書いている」と思うんだろうな。しかも、百合子さん(と奥さんのことをまわりの人たちは呼んでいたはず)の小ずるさまでも、武田泰淳は見透かしていたフシがある。

 私自身が通訳・翻訳者として向きあったアーティストや作家もまた、つきあいがある程度よりも長くなると、私のことをそんなふうに見ている……という印象を抱くことも多い。もしかすると、結婚という絆ではないにせよ、そういう相手と何人もめぐりあえた私は、誰にも負けないほど、表現者としても恵まれているのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/08

僕だけがいない街

コミックスのTSUTAYAレンタル。うちの近所のTSUTAYAでもスタート当初からDVDと3対7とかかな、というくらいのスペースを割いてコミックスの棚をつくっていて、そろそろ「自宅の書棚にマンガのスペースを取るのは厳しい」と思っていたのもあって、新しい風が欲しくなると(笑)オトナ借りしてきて読むようにしております。

だいぶ一般に認知されるようになってきたか、人気シリーズはまとめて借りられていたり、少しずつ虫食いになっていたりして、いざ「このシリーズ読みたい」というときに読めなくなってきているのがちょっとクヤシイ。けど、まあ、そういう焦れったさも含めての、新しい漫画書籍の楽しみ方を作っていくポテンシャルがあるってことかな。

逆に、いっときはよく通っていた漫画喫茶。ほとんど行かなくなったものなあ。単行本の小さな吹きだしの台詞が、昔にくらべてパッと読めなくなってきた(汗)というのも大きいかも。

で、今週。久しぶりに10冊レンタルしてきました。ホントは「キングダム」とか「ヒストリエ」といった系統の、すでに読みかけて追っかけている作品だけど、自宅の書棚でスペースを取るには巻数が……というあたりのものを読みたかった。でも、皆さん、考えることは一緒。軒並み借りられていて、まとめて借りる状況ではなかった。
※あ、でもここまで書いて、ふと。虫食いだろうが、一冊ずつだろうが、読みたいときにちょこっと借りてくるのも、それはそれでありかもしれない。今度はそうしてみよう。

なので、目についたものをあれこれチョイス。そのうち、話題作だと知ってはいたけれど未読だった「僕だけがいない街」は、また近いうちに借りてきたいと思ったので、メモ。

「僕だけがいない街」(三部敬/角川コミックス・エースbyKADOKAWA)五巻まで。
「ばらかもん10」(ヨシノサツキ/スクウェア・エニックス)
「コウノドリ」2~5まで(鈴ノ木ユウ/講談社モーニングKC)一巻だけ持っているので。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/08/16

内海聡さんの本を買うべきか

一冊も買ったことがないことを反省しつつ、治療院のホームページを拝見すると、治療の予約をとるにあたって必ず自著を三冊くらいは読んでから来てください……というようなことを書いてあるので、自著出版といってもふつうに「老舗の出版社の編集者が企画をたてて執筆依頼をして本をつくって、それをその出版社の営業さんが売り歩く」というクラシック(?)なものではなく、あくまでご自分の治療の理念と営業を、ビジネス感覚で(たいへん優れていると感銘)宣伝のために自主的に書いていらっしゃるのかな、と。それが話題になっているからと、あとおいで「ともかく出して売る」「売れるもの」への鼻がきく編集者さんが飛びついて、二番煎じ、三番煎じの本にしている、という印象。それが「ダシガラ」にならないところが、みごとだなあ。引きだしをたくさん持っていらっしゃるということですね。

昨日、FBで内海さんの記事をシェアしたところ、こんなことになっているので……と教えてくれたかたがいました。ありがとうございます。

離党届を出した市議さんのブログ

ひゃー。というのが最初のひと声。
この話題、今朝のラジオのニュースで報じていましたが、ネットで話題になったのを他のメディアが後追いする、という動きに今後はなっていくのだと思います。どういうふうに波及していくのか、そこだけちょっと興味がある。

ということで、ブックマークがわりのピックアップ。でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/05/23

流行歌(はやりうた)西条八十物語

少しずつ読んでいる一冊。吉川潮の著作は、ほんの数冊しか読んだことがないとはいえ、私にとっては「ハズレなし」で、これからも追いかけて読んでいきたい作家と決めている。

そして西条八十。この本を手に取ってみた理由は幾つかある。まあそのへんのことはいつかメモするとして、今日はどうしても書き写しておきたい箇所を写経。

     ***

 この日も、一通の書簡が八十宛に届いていた。ランボオの詩集を献じた神崎義雄からでからで、鹿児島県知覧の住人が代わりに投函したものらしく、差出人は女性であった。知覧ということは神風特別攻撃隊に配属されたのだろう。八十は封を切った。

 拝啓、西条先生。在学中は何かと目をかけて戴き、有り難うございました。私、神崎義雄は明朝、出撃いたします。愛する国、愛する家族を守るため、一命を捧げることになんのためらいもありません。ただひとつ心残りは、先生から教え授かった学問を行かせなかったことであります。できれば私も先生のように大学で教鞭を執りたかった。フランス文学の楽しさを学生に教えたかったです。生まれ変われるものなら、こんどは自由主義の世の中に生まれたい。頂戴したランボオの詩集を胸に抱いて敵艦めがけ突っ込みます。
 仰げば尊し我が師の恩。先生のご厚情、けして忘れません。
 辞世 あの世にて我ランボオと詩を語るらん
 西条八十先生
                海軍少尉 神崎義雄

 書簡はすべて検閲されるので、連合国のフランスの文学を賛美したり、自由主義を望むような文面が引っかかると予測し、第三者に投函を頼んだに違いない。
 それにしても、なんと哀しい文面であろうか。読んでいるうちに、涙があふれ出て、文字がかすんで見えた。
 八十は大学に近い丘に上り、戦死した教え子を思って詩を詠んだ。

   『戦塵』
 かの教子もうせにけり
 この教子もうせはてぬ、
 いつも吾が来るこの丘の
 草ひとすぢに風吹けば
 やさしく撓み、伏すが如く。

     ***
 終戦を知って、八十が最初に思ったのは、「これでもう、死ぬまで軍歌を作ることはない」ということだった。
 自分が作った軍歌が、人類最後の軍歌であって欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/06/06

本のメモ0606

ああもう、本にせよCDにせよ、いつ読む(聞く)んだ>自分! もしくは読まずに置いておくだけのものに、空穴の財布のなかみをさらにしぼりだすのか! と叫びつつ。それでも新刊書の品揃えがそこそこの大型書店は危険すぎる。手首の骨折のせいでしばらく余計な荷物を持てずに自重していた反動か、書店にさまよいこむと無事に出てこられないこの数日……。本に突っこむよりは、仕事(で小遣い=本代を稼ぐ)しなくちゃ、ってのに。

ともかく、反省をうながすためにも、久々の本のメモ@TSUTAYA。

月の上の観覧車
天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語 (新潮文庫)
ひと目で見分ける580種 散歩で出会う花 ポケット図鑑 (新潮文庫)
食べもの屋の昭和―伝えたい味と記憶 (新潮文庫)
RURIKO (角川文庫)

新潮文庫が多いのは、発行日をよく確認せずに今月末に発売の新刊を探して、新刊の平積みの棚を凝視しながらうろついたせい。とりあえず、今日買った分はできるだけとっとと読んでしまうこと。←目標。だってそのためにこんなところにわざわざメモしているんだもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/05/22

星を帯びし者

幻想文学ファンであれば言わずもがなの名作。
「妖女サイベルの呼び声」とあわせ、私にとってマキリップの金字塔とも呼ぶべきモルゴン・シリーズ三部作の一作目。長らく絶版になっていた(!)早川書房版ではなく、このたびあらためて東京創元社から復刊が決まった模様です。六月刊行予定とのこと。

うーん、マキリップの作品を続々と刊行してくださっているのは嬉しいこととしながら、どうも創元社からの新刊の訳はかつてのマキリップの訳文とだいぶ違った印象……と思って、いつからか新刊チェックをやめてしまっておりました。が、今回のはハヤカワ文庫FTの訳書をそのまま復刊するようですね。山岸凉子さんの表紙&挿画もそのままセットにしてくれるのかしら。あれはやはりあのイメージが(特に☆三つの印の額など)強いファンとしましては、できればあの同じかたちで新しいファンを獲得してほしいわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/27

収穫

神保町で通訳アルバイト。15分ほど早く着いてしまったので、どこかでお茶でも飲もうかと思いましたが、スターバックスの少し手前の古書店の店先に並んだ本の山に「呼ばれた」ような気がして、ふらりと入ってみました。外国語学習用のテキストや辞書・辞典のたぐいがかなり充実した店で、よくよく眺めると映画関係の書籍やDVD(古典やB級の品揃えにオーラを感じたけど、そこまで見ている時間的余裕はなさそうなので、目をそむけて見ないように)も相当だという印象。

うっかり「フランス食の辞典(買おうと思ってamazonのカートに入れっぱなしにしてすでに数年)」のたぐいを手に取りそうになって、今日は現金の持ちあわせが……と自分に言い聞かせ。そろそろ出ようかと思ったところで、平積みになったオークションのカタログの一番上に、なんだか美しいものがあるぞと惹かれて手に取ってみたわけです。

ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ(1911年)』の手稿譜が2004年5月にロンドンのサザビーズでオークションにかけられたときのカタログ(見本)でしたね。そのまま写真が掲載されているのは合計して10ページぶんくらいかな。ピアノ版にアレンジされた2楽章の冒頭あたりはスコア譜で見てもすぐにわかったので嬉し♪ あと、ロシアの踊り(タイトル付きの冒頭)と、謝肉祭のわりと頭のほうが見ひらき2ページとか。インクはもちろん、鉛筆(青と黒)でストラヴィンスキーの神経質そうな書きこみが各国語(露、独、仏)であちこちにあるのが楽しい。それともちろん、紙の帯を貼りつけて修正してあるところとか。

オケピアノの参考用に買った『火の鳥』のスコアは部屋のどこかに埋もれているはずだけど、ペトルーシュカは持っていなかったなあ。今日も通訳するはずの某教授がショパンに限らずストラヴィンスキやシューマンやラフマニノフやラヴェルやドビュッシーやフレンチバロックの話を「話し出したらノンストップ」で語られるかただというのもあって、いきなり気分的にモダンなものを聴きたい感じだったのかも。

ってことで、そのカタログを握りしめてレジまで直行。ワンコイン500円なり。大満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/19

パトリック・コーヴァン

ル・モンド紙の訃報(第一報)はこちら
『リトルロマンス』の原作者ってことだけで有名なのは日本独自の現象かと思っていたら、フランスでもどうやらそういう傾向があったみたい。

クロード・クロッツ名義で出ている本をもっと日本語で読みたい、というのがわたしの翻訳志望の(たくさんあったきっかけというか)動機の一つでもありました。高齢でいらっしゃることはわかっていましたし、訳しもせず、翻訳したいという具体的な営業や持ち込みをしたわけでもないのに、やはりさみしい思いがよぎります。合掌。

しかし、このところこのブログ、訃報が多いですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/08/15

淡々と

一日ずつをどうにか生きのびています。
酷暑で少々バテているというのも大きい。それと、気持ちのうえでのガス欠。まあ、基本的に「底が浅い」というか、ちょっとしたことで上がったり下がったりするのは毎度のこととはいえ、自分で自分の頑固さを持てあます度合いからいくと……いや、もう言うまい。

さて、本をご恵贈いただきました。ありがとうございます。
ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン (エクス・リブリス)
最初の数ページをめくってみるだけで、その丁寧な文章に引きこまれます。

それともう一冊。
アマリアの別荘
これもまた、素晴らしい作品だという匂いがどのページからも強烈に立ちのぼってくる本です。ただ、本が届いたころ、わたしの精神状態があまりよろしくなくて、最初の一章ほどを一気に読み進めたところで、いろんなことがストップしておりました。(本当に、わたしったら、いろんなかたにご迷惑をかけている。ごめんなさい。)

上記二冊、どちらも尊敬する先輩からの励まし、もしくは「しっかりせい」というお声かけだと、勝手に解釈しています。まだしばらくは、日によってヨレヨレしそうですが、はい、少しずつでもどうにか、自分らしくやっていけるようになれればと思っています。

▼で、今朝は街道沿いにスピーカーで軍歌をガンガンと聞かせる街宣車の騒音でめざめました。うーん、今日は一日中、あれを聞かされることになりそうだわ。昨日は来日中のジャン=マリー・ル・ペンが靖国に参拝したとのことです。日本のメディアでは話題になったのかしら。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/05/25

本のメモ0522

うーん、いまさらって感じの本ばかりですが。
チェック情報というか、積んであることの(自分への)確認ね。
実際に読書中なのはまったく別ジャンルの本ばかりだったり(笑)。
植物図鑑
天地明察
テースト・オブ・苦虫 8
幕末牢人譚 秘剣 念仏斬り (集英社文庫)
KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子

あとは雑誌と漫画がそれなりに……面倒だからそっちをメモするのはまたいずれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧