2018/04/01

吹奏楽のひびき

ゲスト・酒井格

うわぁ、おもしろかった!!!
マーチングバンドというジャンルは、そうかそういうジャンルがあるのねー、高校の吹奏楽のひとたちが頑張って含んだね、入場行進の場面でよく聞くけど-。と、そういう認識・だけがありました。

こういうふうに曲を聴かせてもらうと、まばゆい音楽の造形世界が、いきなり燦々と目の前に広がっていた! という感じだ。

いままでに私が体験したいろんな「高校生活での音楽シーン」みたいなものとか、音楽の体験とか、試験の場面とか、舞台でのプレゼンとか。いろんな記憶がパーッと脳裏を鮮やかによぎったよ。

文学作品を翻訳する、あるいは詩を朗読する、ということと、音楽の演奏とかアレンジは(も)ほぼ同一作業である、というのが私の昔からの持論なのですが、やはりそうだったか、という感覚ね。

同時に、いまの自分がやりたいこと、できること、求められていること。そのエネルギーのすりあわせが、ふわーーーーーーっと、ね。できる。ってか、やってるじゃん、あたし。

うまく書けないってか、わざとこんなふうに書いています。
が、ここに何かを書くことで「パクる」とか「パクられた」とかなることも違うし、そういうふうにはもうおそらくならない。

ってことで4月のサカナ(3月のらいおん、みたいだw)な日曜日のインスタノートでした。ちゃんちゃん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/03/21

はいどうも

放送日のまえからブックマーク、というか、私の場合、閲覧ソフトのタブページにして出しておくって悪習(だってパソコンの動作がこれで重たくなったり、ひどくするとフリーズだってする)のままキープ、ですがね。

今日になってもまだ、オンデマンドで聴く気にならず、かといって、このままなんの痕跡もなく消しちゃうのも業腹なので、ここに「もうちょい長く残しておく」「晒しておく」用に、リンクを残しておきます。

フランスミュジク、カサールの番組でペヌティエとリグットの特集回

ペヌティエは何度かレッスン通訳して、すばらしいなあ、でもたぶん次はキャンセルして日本に来ないだろうから……と毎回ひそかに残念に思っているという名匠です。それ以上でも、それ以下でもなく。

リグットに関してはね。
いろいろありすぎて、書く気分にもなりゃしない。
好きですよ。好きでなけりゃ、仮にも2年(だったかな)このひとのクラスに登録しやしませんって。←学生時代。正確にはパリの一等賞をとってから、滞在許可をどういう身分でとるべきかルヴィエに相談して、あらためて紹介してもらったのがリグットだった。けど、そのまえから、何度か顔はあわせていたもんね。

一昨年の仙台で再会して、相変わらずというかね。お元気そうで何よりだわーと思って、あれから1年半か。

そもそも、わたしはピアノ弾くのを完全リタイアしてからは、ことさらに、ご縁、イコール仕事でつながるボルテックスって、そう実感しているからね。中途半端に音大出身を売りにすることも、他の誰かの仕事をかっさらうことも、どっちも意図的に「忌避」してきた。いままではね。

そうすると、面白いことに浜松→中村紘子さん、というように、つながってくるご縁があるのと同じくらいに、ルヴィエ←絶対に呼ばない招聘仕事←私に対してもNG、というような反応も出てきた。同じルヴィエ門下でも、おかまいなくつながっていく仲間もいたりするから、それまた面白い。ってか、そういう仲間は、逆に別の仲間と過去に何かあったりして、同門で何かするという動きに対しては、ワタシ以上に反撥して、顔を出してこなかったりもする。

リグ先生は、ルヴィエ以上に、弟子との決裂率が高い。
だからどう、ってわけでもない。が、人間的にも、すべてが濃厚すぎるんだよね。

通訳を誰にするかとか、そういうところを自分でコントロールしたがって鬱陶しい。むかし、母校のピアノ科主任に私から電話させて「通訳は私にさせろとリグットが言っております」と言わせたけど、ありがたいというよりは、どうでもいいから、こんな強引なことさせないでほしい、と思ったよ。じっさい、あのときの主任は「ごめんなさいねー」と、自分の子飼いのフランス語はへたっぴな誰それに「あの子にメールを書いてもらったら自分がレッスンもぜんぶ通訳するって舞いあがっちゃって、やめさせるのがいまさら悪くて」と言ってきたもんね。

そのくせ、弟子の名前はともかく、ひとの名前はおぼえない。アジア人の顔はみんな同じに見えるし、それでなくても人の顔と名前はおぼえられない。記憶障害なんだと自己申告しておりまする。まあいいけどさ。アーティストにありがち。

それでも、会えるのは楽しみにしておりました。
が、来日するなり京都で足を負傷したのだそうな。
その日のうちに帰国。

生きてるうちにまた会えるかしら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/03/18

じぶん、じぶん

いまの自分。自分のありよう。どこを目指すのか。目指さないのか
どういう風景を見るのか。何をするのか。しないのか。

引っかかっているのはこのへんです。
具体的にいうと「No music, no life」という基本線は変わらないと思う。ただ、じゃあ「演奏会に出かけていく私」とか、お金を払って何かする私、かな。

音楽会ってのは、依存性がすごく高い娯楽ジャンルなんですよ。行けば行くほどよくなる。もっと欲しくなる。それなしでは自分に価値がない、とまで、いつのまにか思いこむようになる。音楽に限らず、なんでも「ハマる」ってそういうことなのかもしれないけど、ライブとか興行ってものはね。自分だけでは成立し得ないものなのに、そのことを忘れさせてしまう。そういう方向に「持っていかれる」傾向が強い。

そのへん、何がいいとか悪いとかではなく。そういうものだよ、ってだけのこと。それ以上でも以下でもない。

で、私は「誰かがこしらえたテーマパーク」としての音楽も、ものすごく好きだけどね。自分で自分のテーマパークというか、自分の足で立って生きていく演奏家になる、って決めて、そのことばっかり考える時代を経て、ああもういいや、とイチヌケしちゃった人間でもある。

というか、たいていの人は多かれ少なかれ、何かからイチヌケしていまの人生を歩いている、という考え方もありです。はい。そうなると、イチヌケしたことに気づかずに生きてる人たちがハマるようなエンタメとか、テーマパークってのは、もういっぺんハマるのには抵抗がある。ってか、わざわざ二度手間することになるんだもんね。

自分で自分の経験や感性を活かした上で、まったく新しいテーマパークをつくるぞ! という、山師的な隠れた動機があるならともかく。

ああ、そのへんがいまの私のテーマと言うことか、と。書きながら少し納得もしておりますが。そのへん、決めちゃわない。考えない、というフェーズにこのところ差しかかってきてもおります。

3月になってすぐかな。1月末の発売日から数日というところで、吉祥寺のPBCへ出向いて「入荷してますかあ?」と、わざわざお店の人に探してもらって(一冊だけ入荷していた本を台車の奥から発掘してくれた)購入した一冊の本。

『キンノヒマワリ ピアニスト・中村紘子の記憶』だったかな。集英社から出た本。著者は高坂はる香さん。

2月はバタバタしていたというのもあって、この本を寝かせてあった。2月末から3月にかけて、香港に遊びに行ってきました。そのへん、機会があればブログにまとめて書くかも、です。が、香港から戻って、まっさきにこの本を手に取って一気に読んだ。

通訳業務の経験を積んだということとあわせて、翻訳師匠の堀先生とか、それ以外の友人や知人が、メディアに登場する。もしくは、インタビューなどの記事の露出が続くのを見ているうちに、ジャーナリストが「取材」する。そして「記事を書く」の、ワンクッションのあいだに、どういうフィルターが、クッションが機能しているのかということを、何十回、何百回となく目にしてきました。とくに、音楽ジャンル。文学ジャンル。フランスなんでもありのジャンル。

中村紘子さんに対して、同じ井口門下で学んだピアニストあがり(さがり、という説もあるw)の私は、どう接してよいのか最後までわからぬまま、それでも通訳としては「あなたの話す日本語がすばらしい」と、何回も、面と向かってお褒めのことばをいただいた。ありがたいことです。

この「どう接していいのかわからない」は、私の長所でもあり、短所でもある。たぶんね。そして、高坂さんが書いてくださった本を読んでいるうち、それで良かった……みたいな。一冊の本をこんなふうに、自分勝手に読んでしまうことに対して罪悪感のようなものが生まれたほど、ああ、そうだったのか、というような、変な気づきが幾つもありました。

メディアや、誰かのフィルター。それを通すことで明晰に見えてくるぶぶんと、かえって「わけがわからなくなってくる」ぶぶんがあるものです。中村紘子さんについても然り。というか、彼女の場合、露出する情報やコトバについても、あのセンスでものすごく鋭く繊細に「その表現はダメ」みたいな、ある種の検閲や牽制をなさっていたはずなので、出ている記事についてもね。よくも悪くもダイナミックでクセの強いものになっていたのであろうなあ。

なので、私が「どう接していいのかわからない」というのは、ある意味では双方向。あちらにとっても、つかみ所がないというか。使い甲斐も、育て甲斐も、どれもイマイチ。おそらくね。刺激や情報を得るということについても、あいだに私の友人がひとり入る、くらいでちょうどよかったのかと。そういう距離感。

他にも、一冊の本にまとめられた記録を拝見することで、ほぼ1週間くらい、自分のなかで「井口門下、桐朋出身、そのままの枠にとどまることに耐えられず海外に留学(脱出)」という面に共鳴・不協和音がそりゃあもう、たくさん発生しましてな。けっこう辛かったよ。

その後、3月9日(金)にHakujuホールでのチェロとピアノのデュオリサイタルを聴きに行き。これは中木健二&松本望という、二人そろって藝大出身。その後フランスで学んだという点は「共鳴要素」なんだけど、私の中のイメージという意味では、みごとに「藝大出身の演奏家ふたり」というスタイルにハマる2時間でした。いい意味でね。

そしてその1週間後、3月16日(金)は紀尾井ホールで、鈴木理恵子&若林顕の演奏会を聴いてきた。こちらはもう、桐朋出身のおふたり。正確には、ピアニストが「井口門下をかすめる感じで育って、藝大で田村宏先生に師事。のちに桐朋で教える」で、ヴァイオリニストが桐朋系。いやあ、こういうふうに音楽を聴く自分。

いろんな聴き方があっていい。
そういうこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/12/06

ヤバいくらいに

体力が落ちている。
身体とココロって連動しているから、つまり精神の耐久力や瞬発力もヨレッとなりやすい。

や、筋トレのための筋トレは興味ないんだけどね。それでも、こうして「弱っている」と批判的なムードにとらわれると、ふとしたハズミで自虐の連鎖にハマってしまう危険大。

一昨日、テルメ小川で温泉につかってきた。ホントはいろんなバランスのために、すぐそばの薬草園に寄りたかった。あいにく、工事中で休園。温室の可愛子ちゃんや、花壇や畑、林の子たちに会いたかったなあ。

最近は、海水温熱ヒーリングを月一くらいで受けているおかげか、温泉につかっているときに感じる「身体の奥の冷え」みたいな感じが、皆無ではないものの、そういう体感も含めてのいまこの瞬間な自分、という手ごたえで、なんだかやけに心地よかった。安心感というか、いいお守りをもらったというか。

で、その夜は妙に……夜中に目が覚めてそのまま明け方まで寝付けなかった。次の夜、つまり昨夜はさらに極端。九時頃に強烈な眠気におそわれ、そのまま就寝。目が覚めたら丑三つ時。やはりそのまま寝付けず、明け方に就寝。そのまま昼前まで一気に二度寝な熟睡。

そりゃあね。寝る前に「睡眠って大事だわあ」と、眠りの世界に感謝の気持ちを送ったけどさ。効きすぎ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/12/03

ドレンスキーのレッスンを受けた話

いまから20年……いや、それよりわかりやすく、ワタシが27歳だったとき。なんで憶えているかというと、そのときドレンスキーが「あなたはお幾つか」と、ダイレクトに訊いてきたから。

もう少し若いと思われたのかもしれないし、それでもワタシが「やーでも、まだ年齢制限オッケーですから、チャイコフスキーコンクールとか出てみたいんですけどー」と、重ねてアプローチすれば何かが起きたのかもしれん(笑)。が、そういうあれこれは、この記事の本題ではないのでいまんとこ保留。

セルゲイ・ドレンスキー教授。モスクワ音楽院の有名(だったなあ)ピアノ教授。あと十年早く出会っていれば、もしかするとフランスではなくロシアに留学したい!とか思ったかなあ。うーむー。あのときのレッスン内容は興味深くはあったけれど、インパクトが強いことを教えてくれた、という以外に、数か月とか数年単位でこのひとに習いたい、という惹かれ方はなかった気がする。83年のロンティボーでスタニスラフ・ブーニンという、自分とほぼ同世代のピアニストの演奏を聞いて夢中になった、という前提にフォーカスすれば、タイミング次第ということだったのかもしれないけど、あれだけ(ブーニンも含めて)自分で育て上げたという弟子たち以上に、有名になってからは優秀な才能が怒濤のようにドレンスキーのクラスや講習会に送りこまれた、という話を知るとね。

で、本題。
なんで縁もゆかりもないワタシがドレンスキーのレッスンを受けたか。
ピティナの社長から、ある日とつぜんお電話をいただいたからです。

ピティナの福田(靖子社長の時代)です、と名乗るなり、ねえあなた明日、うちでやるドレンスキー先生のレッスンを受けなさい。

ご興味ないかしら、でもない。
ドレンスキー先生ってご存じかしら、でもない。
最高のレッスンなのよ、という営業トークでさえもない。

ドレンスキーのレッスンを受けなさいな。
イッツオール!

どうしていきなりそんなお電話いただいたのかさえも、説明ナッシング!
三秒で答えていましたね。よろしくお願いします……

あとでいろいろ状況を推理しました。
巣鴨のあの事務所で、ドレンスキーのレッスンをすることになった。
レッスン受けたいという客(!)が定員不足で、コマ数がスカスカ。
担当職員さんは頑張ったんだと思う。でも、あちこち必死に声をかけても、五万円(とドレンスキーのレッスン料は当時いわれていた)払ってまで受けたいというひとがいなかったんだろうね。

社長が職員をしかりとばす。
しょうがないわね、わたしがどうにかするから、あなたはそこで見ていなさい。
受付のとなりのラックから、近々リサイタルをするという人たちのチラシをまとめて持ってきなさい。
はい、このひとの電話番号しらべて。電話するから。

そして少しまえの電話のやりとりに戻る、と。
レッスン謝礼はね、五万円よりはずっとお安かったですわ。
ただ、あそこのホールとピアノ使用料と、通訳料をカウントしたら、それなりに……五万円は超えなかったけどね。

ひとつ悔やんでいるとすれば、レッスンは英語だったのだけれど、通訳サン、わたしがレッスン受け慣れているとみるなり、ほとんど通訳してくれなかった。英語はわかんない!って3回くらい言ってお願いしたのに! 途中でわからない単語があったので「ごめんなさい、いまのは?」と声をかけたのに、ムシされた。もしかすると、ドレンスキーの英語がおかしかったから訳せなかったのかもしれない。それでもいいから、訳してほしかった。

あ、話がズレたね。
何がすごいって、女社長。
何かを紹介する、もしくは、売る。
ドスをきかせるというのかな。
余計なものは何もいらない。

まだまだだなあ、わたし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/09/14

ギアチェンジ

力加減というのが近いかもしれない。
シフトチェンジというよりは、ギアチェンジ。

生き方とか暮らしぶりとか、そういうもののドライブ……とも違うかな。
そもそも「生き方」なんて立派なもの、意識した途端にこわばって緊張してしまう小心者どすねん。

でもここ数日で、何かが変わった気がする。
何かを「すべき」とか「しなきゃ」というのが、きちんと思念の多重スクリーンに映し出されているうえで、そういうのがどうでもよくなった、というと言いすぎかな。どうでもいい、という言い方にもまだ力みがあるからさ。

ダラダラと過ごしたければそれも行動。
くるくると動きたければそれで意識が磨かれる。
人に言われてやるのも悪くない。それでエゴの風通しがよくなる。
じぶんがグチャグチャして切なくなったり哀しくなるのも、それはヒトとして経験することがたくさんある、という証し。

そのへんのコトバも、ぶっちゃけ後付けな面が強いけどさ。不思議なことに、そういう心境になったとたん、以前に気になって、そういう「足元を見られる」「じぶんでじぶんが認められない」という不条理もしくは無常なマイストーリーをこしらえてしまっては消化しきれないことを悩んだ、そういう対象とかヒトとか競争論理みたいなものが、ほんの一週間とか一か月とか、わりと短期間でぶわっとまた「またお目にかかりましたね」となったりしてさ。

おもしろい。
以前はそういう事柄や感情を「くだらない」「目に入れない」「近よらない」と、ことさらに「君子危うきに近寄らず」とか「交わりは淡い水のごとし」と呪文のようにとなえて、じぶんをすっきりと保とうとした。

それはそれで効果があった。
ありがたいとも思っている。

いまは、そういう経験や感情の反応、すべて含めて「それがあなた(=わたし)」なのであって、他の誰にも到達できないじぶんにたどりつくための道、なのだと認識するようになった。道はね、すべての道はローマに通じる、というのと重なる意味合いに置いて、だれの人生も似たような、あるいは同じ道なのかもしれない。ただ、歩いている私は、そしてその道行きは、ほかに同じものはありえない稀有なものなのだ。

で、ギアチェンジ。
ギアをシフトすると、おそらくは見えてくる風景がかわる。
体感温度(かな)が変わる。たぶんね。

引っかかりを憶えて立ち止まる他者(それだって、視野に入る対象ってことで、ぜんぶじぶん。じぶんの世界)は、ほぼ確実に「イマココにいない」とか「何かを形にして遺す」ひとたちであって、そこに引っかかるってことはつまり、私も何かの「形に拘っている」のと、矛盾する「形に拘ることを正しくないと思っている」という、そこらへんが反応しているんだね。

形にするってことは、認められたい。じぶんはエラい、他と違う、というエゴとか、価値観、ジャッジからきている。そのこだわりを消すというよりは、透明になりたいと思えば思うほど、表裏一体の「認められたい欲求」も強烈になってきて、見ないふりをしようとすればするほど、ヒトから軽く扱われたり、じぶんでじぶんが嫌いになったり、剽窃することでじぶん(って誰かはあとで考えよう)を踏みつけてくる才能が次から次に目の前に登場してくる。そのことを私は……知った、というよりは「夢で見た」かな。

覚醒。うん。
それで何が変わるというわけでもない、とも思う。
ただ、じぶんの世界観が一瞬ごとにクリアになっている。

三秒でうなずいて。手のひらを軽くあわせる。
よし、はい次。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/05

自分の勘を鈍らせるな

これは書いておかねば、という。ごく私的なメモでもあります。わざわざブログに書いておかずとも、たぶん来週には「そんなことがあった」ということさえも忘れてしまうかもしれない。でもでもでも……とかね。

通訳仕事(レッスン通訳)がご縁で知りあったピアニスト。女性で、蓋を開けてみたら共通の知りあいがけっこういて、しかもパリのガッコに私とほぼ同じ時期に在籍していたらしく、そのうえ、すごく前向きでエネルギッシュな性格。何より、教え方が上手い。わたし自身が師事した先生方のように「超絶・教えることに命をかけているからこその伯楽」というタイプではなく、あくまで女性教授ならではの、きめこまかく、なおかつダイナミックに弟子の尻を叩ける。この路線にのっかってピアノを弾けば、まじめな学生ということで嫌われないだろうという、枠とレールの設定がキツい。

誰かが言っていたっけ。
ジェルメーヌ・ムニエの後継者って。うん、ちょっとそんな感じ。
言われた本人はイヤがるかもしれないけどね。

で、その彼女とSNSでつながっているものだから、年度末ともなれば、クラスの子らの演奏映像がよくアップされている。こっちの先入観があるのかも……と思いつつ、日本人の子たちの演奏がね。あちこちの音大でもレッスン通訳よくお呼びがかかる私の目からして、これはいったい、という。シャープさがね。決定的にどうも、というか。

いまヨーロッパに留学する子たちのレベルってこんなもん?
私らの時代よりさがった、なんてことはありえないと思う。けど、あれだけちゃんと教えられるはずの師匠についていながらそれって……うーむ。

いずれにせよ、私の目が曇っていたということもあろう。
「いまどきのピアニスト志望」の学生は、昔も今も、絶対に越えるべきラインを越えていける子はごくごく少数ってことかもしれない。そして、友人としてメッセージのやりとりもボチボチ継続しているピアノ教授な女性。とてもすてきで、起業家精神も旺盛にして、私にいろんな人を紹介して仕事をさせようという試みもパワフル!

そのやりとりが始まってすぐにこっちは息切れして、そーっと距離を置いたんだけどさ。その理由は単に「こちらサイドの怠惰ゆえ」ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。いまだって、そこに何かをつけ加えようとは思わない。

とはいえ、あの子らの映像を見て「やっぱりねー」と。
納得したことでした。私の無意識って、ヤバそうな匂いとか、切れ味が鈍くて「馬車馬のごとく」走らされそうな気配とか、そのくせ楽しくなさそうかも……という気配を察知する力が最強ってことだ。

うん、そういうことにしよう。
以上、おしまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/10/26

電話が苦手になったきっかけ(前エントリーの続き)

書いてみると納得する。

電話というツールが、私にとって「いまを生きていない」という状況をまねきがちのものとなった。それだけのこと。本来は私も長電話がキライじゃなかった。

けど、たまたまある時期、最初から「長電話すること」が目的で電話をしてくる友人が増えたんだよね。もしかすると、それは自分が招いた事象だったのかもしれないけれど。

いま大丈夫? と訊かれれば、ああゴメン、と言うような場面でさえも、なまじトークというか、自分の話をうんと長いことかけて話すことが得意で、しかもマニアックなお友達だと、何やら「こいつならいくらでも話を聞いてくれる」みたいな、思い込みのパワーも強烈でね。

何度か「起きてる時間はほどんど電話に繁がれている」みたいな日を重ねた。電話をキライになったのは、その反動もあったな。

つまり、電話に対しても「きちんといまを生きる」ことができるのであれば、私のこの苦手意識も消えるだろうってことだわ。ふーん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分の苦手を考察する

電話が苦手になったのは、いつの頃からだろう。
携帯電話がどんどん普及してきたのにあわせて、屋外で使い慣れない機械にオタオタしながら、相手の声が聞こえないというストレス&自分がスピーカーにきちんと声を送っていない、という不安にびくつき、さらに携帯電話での用件というのがたいていは「いついつのご予定はいかがでしょう」という、よく知っている相手ならまだしも、いきなり誰それから番号をもらってかけてます、という会ったこともない相手からの、どういう仕事なのかもわからない問い合わせに答えることへのストレスに疲労した、というのが大きい。たぶん。

で、よく考えてみると、いつから日本では「いきなり知らない相手からのコール」に応えることが、社会人としてのプロトコルというか、それができないと人間失格……みたいな概念がここまで大手を振るうようになったのだろう。

むー。そんな概念、ごく一部での妄想でしかない、というのが真実であったりする。
知らない相手であったり、知ってる相手であっても、デートの誘いと同じく、こちらのタイミングがあわないなら電話に出ないことも当然の選択肢として許されるはず、なんだよなあ。

誘ってくるほうは、行動をおこしているわけで、そういう意味では受け身のこっち(この場合)よりも、パワーと道理という味方がある。それだけのこと。

電話をかける、ということは相手の時間を奪うということ。
この大原則を私は腹の底にかかえている。だから私はまず、自分へのコールがいやだという以上に、きちんとした用件(これはどうしてもその相手と話したい、という気持ちの動機であってもかまわない)でもないのに誰かに電話するのが、あるときからとっても苦手になった。

これからそこを、直したいと思えば、きっとこの「思い込み」も修正される。
いまはムリに変えようとしなくてもいい、かな。うん。

同時に、手紙についてもね。
私の中には、びっくりするくらい筆まめな自分と、筆無精で何年もご無沙汰してしまう(けど、その相手のことはめちゃくちゃ大切に思っている)自分と、複数の人間がいるんだね。

ふと思ったのが、筆無精であろうがなかろうが、私が私として「きちんといまを生きる」ことを積み重ねていさえすれば、あとのことはどうにかなる、ってこと。

言い訳を長々連ねたような気もするけど。
頑張っている私、とか、誠実な私、とか、あたまに形容詞をつけないといけない自分はどうせ本物じゃないってこと。うん、そんなこんなで本日のツレヅレを終わります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/08/14

あなたは誰ですか

すでに何回か、自戒およびグチめいたニュアンスをこめて、この「あなたはナニモノですか」というつぶやきをこのブログでも文字にしたことがあったかと思う。

日本語のニュアンスでいくと「エキセントリック」という言葉がしっくりくる。
上昇志向の強い男性でも見かけるけれど、とくに女性のほうがね。自分と同性であると、なおさら気に障るというか、なんなんだろう、このひとは……という場面を目にしてしまうことが多い。

誰かにすり寄っていくことで、何かを手に入れようという「野心」がムキダシの人ね。たとえば下手の横好き!と呼びたくなるような演奏(演奏でなくても)を、友人をだまくらかしての集客で無理やり聞かせる。シロウト丸出しの同人誌をつくって、実費と称して一冊いくらで売りつけるとか、何かの集会のついでに自分のダンスとか自作詩や童話の朗読とかを披露する、というのも範疇にいれたい。

イケバナの名手らが「これでお金を稼ぐということは許されない」と、トップクラスになればなるほど口にするのと、まさに逆。なんの根拠もなく、自信たっぷりに一流アーティストに馴れ馴れしく「同業者」よろしく話しかける。恥ずかしいシロウトの典型。

これが、セミプロを名乗るレベルになると、もっと見苦しい「有名人とみると我先に話しかけてくる」というケースも増えてくる。舞台を終えたばかりのアーティストに話しかけたことがあるというだけで、知りあいだとか親しいとか言いはじめる。

ああ、私も一歩まちがえるとそういう人種と同じになりそうだから、それでこんなにセンシティブに反応するってことなのかもね。今回、フランスでお名刺をいただいたかたで、私とパリの学校で同級生だった人ととても親しいというピアニストの知りあいがいる、と言われて往生した。どこでどう話が「盛られた」のかはわからぬが、あの学校は卒業どころか、入学さえもしていないのに「一等賞で卒業」とか「同学年の誰それとは親友」というような経歴詐称がとっても多いのだ。とはいえ、初対面の、それもご当人でもなく、なんの悪気もない(!)かたに向かって、ウソだの詐欺だのあげつらっても誰にも何の得もない。

本物のプロしか相手にしない、なんて言っていたら、しまいには音楽の世界で仕事なんてできなくなる。かもしれないしさ。

で、同じことが、音楽のみならず、他のどの世界でもよくあるんだよね。
気にしないで、そして嫌われてナンボ、という気持ちで自分の「いま」をコツコツと積み重ねていく。それあるのみ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧