2017/06/01

ヴィオラスペース

二晩つづけて行ってきました。
場所は上野の石橋メモリアルホール。
久々というか、もしかすると自分がピアノを弾いていた頃にどなたか(金田真理子さんがホルンと共演した演奏会、というイメージが)に会いたくて足を運んだ記憶がポッと出ました。もしかするとめちゃくちゃ昔?

めったに行かない場所なので、地図を見ながらゆっくりと上野駅から徒歩。
下町ふうのバーとか居酒屋、中華料理屋さんとか、民家の玄関先を眺めながら、このへんの空気わりと好きかも……と、散歩気分でおりまして。
この建物かなあ、と思ったところで確信がなく、そのまま横断歩道を渡ってもう少しさきまで行ってみようかと歩きだしたところで、ちょうど可愛らしいパピヨンを散歩させていたご婦人が「石橋メモリアルホールに行かれるんですか」とお声をかけてくれました。はい!

「ここですよ。入口わかりにくくて大変よね」と、後ろの建物を指差してくれた。あはは。こういうふうに、誰かに声をかけてもらったとか、変なお店が面白そうだったとか、そういう「場所の力」というのかな。すでに演奏会は始まっている。私も、テキトーな恪好で歩いていたはずですが、それでも石橋メモリアルでのイベントにいくひと、というハマり方ができていたのかな。


P6018473初めてのおまつり。どういう雰囲気なんだろうって。いざ蓋を開けてみたら、知りあいの顔もちらほら。ってか、タメスティの舞台挨拶の通訳さんは、何度かご一緒したことのある大島路子さんだったし。とはいえ、最初は、こっちがバルコニーの最前列というお席を手配してもらっていたので、大島さんだって気づかなかったわ。このところ、英語のプロ通訳というと、もう超絶技巧のリズム感で、麗しいながらもテキパキと言葉をたたみかける神さまレベルの先輩の姿しか見ることもなく、だから大島さんのまったりと「マシンガントークの話者のことばにこだわらず、必要なところだけつまんで、お歳を召した観客にもわかるようなレベルに落とし込む」通訳がかえって新鮮でした。それとは関係なく、タメスティが演目について説明した最後に「あ、今日は奏者の衣装もトリコロールカラーにしました」と付け足したコメントのインパクトが強すぎたってのも笑った。

で、曲目。最初のマラン・マレの主題によるガース・ノックスの曲、おもしろかった。とくにマレ好きなら堪えられない美味しさ。ただ、演奏会冒頭においてあると、聞き手というよりは弾き手のほうが「空気をあっためる」感じになっていたかな。ヴュータンのエレジーは、曲そのものというより、ピアニストを見ているのか見ていないのか微妙な感じで、それでも確信に満ちた構築で聴かせるタメスティの鉄柱めいた佇まいが印象的でした。

ストラヴィンスキーは渋めというか。
レフラーは、波多野睦美さんがともかく圧巻。表現が圧倒的だというだけではなく、舞台での立ち位置の決め方とか。響きの捉え方とぶつけ方とかがね、ひときわ冴えていました。石橋メモリアルって、良いホールなのはまちがいないけれど、音の伝わり方(インパクト)がキツすぎる面もあってね。とくに低音。弦や管楽器だと、イヤでも皆さん、本能的に調和を意識しながら音を放つけれど、ピアノみたいな楽器だとね。あれ、けっこう難しいホールだと思った。ふといま思い出したのが、某オケを振ったフランス人が、拙い英語でのリハで「ここのヴァイオリンの音がまるでコンクリートの壁のようにならないようにしてね」と言ったらコンマスを怒らせちゃって……という事件。コンクリートの壁になっちゃう奏者に向かって「コンクリートにならないようにしてね」と言ってもしょうがない、というかね。それよりは、ちょっと様子をみて、ダメなようなら壁打ちの壁にしてしまえ、というか。あのホールでのピアノは、少しスカスカになるくらいに音を抜かないと、すぐにコンクリートになってしまいそうで、でもそこのあたり、ソリストたちの対応もそれぞれ、というか。波多野さんはともかくみごとだったなあ。

フランクは今井信子さんがさすがの音づくりでいらっしゃいました。ピアノもあの一楽章はステキでした。
武満徹がそこで出てくると、ああ日本人だな、と。ムリせず「ただ弾くだけ」でさまになる。エネスクも、民族調がその流れでわりあいとのれる。ある程度の「型」があって、しかもそれが普遍的。最後のシュターミッツは、赤いドレスのソリストが、全身を音楽にしての表現、たのしかったね。

ヴィオラスペースのイベントページ

曲目、2日分を手打ちでいれようと思ったけれど、サボってページのリンクだけ。
2日目は、フィリップ・エルサンの曲とアキロン・カルテットを聴きたくて行ってきました。
全体についてあれこれ思ったことは、別エントリーでまた書こうと思います。

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2015/05/28

チリー・ゴンザレス

オリヴィエ・ベラミのラジオ番組。「パッション・クラシック」の5月26日放送分。→★ここです。

ジョアン・スファールの「ゲンズブールと女たち」で、ピアノを弾いてるゲンズブールの演奏(手じゃなく音だけだそうですが)吹き替えをやっていたんだっけ。なんとなく試聴中>チリー・ゴンザレス。ケベコワだからフランス語。自分のなかでのヨーロッパとアメリカ、クラシックとポップスの葛藤、クラシックにおいて「記念碑的な作品を書かなかったからその名が不当なほど評価されていない」アルカンやブルクミュラーといった作曲家たちへの思い入れを語り、そういった作曲家を凡庸と言いながら、セリーからアカデミズムへ行った「普通の作曲家」については凡庸よりもなお悪い、と切り捨てている。そこらへんの話っぷり、いつも言い慣れてるといった風情。

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2015/05/19

英国ロイヤル・オペラの来日公演

パッパーノが振るオペラに気をつけろ!

ぶらあぼの記事。
うわ、今年は演奏会に行くのは控えめにしようと思っていたはずなんだけど、これ見てやはり血が騒ぐ。

ラ・フォル・ジュルネで来日したピエール・アンタイのインタビュー通訳をしたとき……あの頃、KAJIMOTOのほうから振り当てられる通訳仕事は「ありがたい」と思いつつ二の次にして、ハルモニア・ムンディとミラーレ(ルネさんのレーベル)の広報を手がけていた事務所の仕事を最優先でやらせてもらっていたんだっけ。通訳仕事は、ただ「必要だから」と振られても虚しくなるだけで、それよりも出会いの楽しさを味わわせてもらわないと意味がない。そのことをあの数年間で実感させてもらった。豊かな学びの機会を得られたことにあらためて感謝。

で、その仕事を紹介してもらったきっかけも、いま思うとジャン=ギアンなんだよね。ケラス→日本での担当マネジャーさん→ハルモニア・ムンディ→いまはクローズしてしまったインプレッションという広報事務所。紹介がめぐって、いろんな仕事をさせてもらった。

なかでも印象的だったのが、ピエール・アンタイとの出会い。
まえにも書いたことがあるかもしれないけど、インタビューの通訳で会って、演奏を聞いたこともなかったくせに、通訳しているうちに「このひと、好きだな」と、あの手、あの目、あの話しっぷりに惚れこんで、まちがいなく演奏も私好みであるはずだと確信した。音楽通訳それもとくに広報仕事での通訳は、完全な黒子に徹して、出過ぎたマネをしてはいけない。そういう枠を自分に課していた(最初からその枠を「あちらから」取っ払ってきた唯一の例外がケラスだったけど、それはまた別の話)私が、初めてアンタイに「来日予定は?」「どこに連絡すればあなたの情報が把握できるのでしょう」と、個人的に質問を連発。日本でのマネジャーの名前はね……と個人の名前を口にしたアンタイいわく、彼がすべて把握しているから彼に聞いてほしい、と。その名前を聞いて驚いたね。なんと、私がピアノを弾いてたときにお世話になったマネジャーさん。事務所が解散して、どこかよそに移ってマネジメント業務を続けているらしいとは聞いていたけれど、まさかこういうかたちでまたお名前を耳にするとは!

すぐに連絡をとって、ランチをおごってもらって近況確認。
あれが2010年くらいのことであったか。その流れで、暑い時期に上野で「ぶらあぼ」の編集氏をまじえて、三人でごはん食べたことがあって、あれはいったいなんであのメンツで飲みに行ったのか。そのへん記憶が遠いのだけれど、なぜかパッパーノの話になって「いちばん気になる指揮者!」と言いあったのは覚えているなあ。

ああ、それと「フランス語で歌うひとだとどのへんが?」と聞かれて、ルミューとピオー(この順番)!と即答したら、マネジャーさんがめっちゃ嬉しそうに「ピオーは再来年に招聘します」と胸を張って(笑)。

英国ロイヤルの来日公演、チケット代がいくらになるかはわかんないけど観に行きたい!と思った話から、ピオーの話につながっちゃったわ。出かけるのが億劫なモードになっていたので、ピオーどうしようかと迷っていたのです。行けってことかな。むん。

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2015/05/11

ゴールデンウィークのまとめ

ここ数年、ゴールデンウィークの風物詩となった有楽町や関連都市でのイベントの裏方仕事をするのが恒例になっている。地方での通訳仕事の依頼が今年はゼロ。予算の都合か、アウトソースでフリーランスの通訳を呼ぶ際、他のひとにさきに声をかけてこっちまで順番がこなかったということか。毎年の仕事が来なくなると「切られたのか」と、すごく不安な気持ちになって、まあそれは別に、仕事がなくなることへの不安というよりは、発注してくれている担当者がこっちのことを思いやってくれる余裕がなくなったことへのさみしさからくるネガティブな心境なんだけどね。そのへん、自分で自分の気持ちの整理をスピーディーにタイミング良くやっておかないと、変なトラウマとか、自分のなかでの澱みになって、何年も尾を引くことにもなりかねない。それに、新しい仕事をどんどんまわしていくことが大切だものね。

そこらへん、忘れないようにメモしておこうと思ったわけです。

で、マスタークラスの通訳は、今後の自分のライフワークであると同時に、生き方や仕事の羅針盤としての役割も大きいので、イヤな思いをしようが、自分のなかでの抵抗感があろうが、しばらくは守っていくべき生命線だと決めました。あとの仕事は「余禄」だね。そして、この生命線はしばらく大切にして、徐々に在宅仕事にスイッチしていく。いや、「徐々に」なんて甘いことも言ってられない。人生は短し!!

いちおう、今年ご縁のあったレッスン。
2015年LFJ東京でのスケジュール
ピアノばかりの通訳だったのが少しだけ残念。エルバシャとシャルリエ(→デュメイに変更になったとか。演奏会おそらくベートーヴェンの協奏曲を本来はデュメイが弾くはずだったのがキャンセルとなり、かわりに2人が入れ代わったようです)のお二人の通訳も楽しみだったのだけれど、その時間はキオスクでシャニのワークショップ通訳にまわりました。他に今年のこのお祭りの印象もどこかにメモしておきたいのだけれど、まあそれはまたそのうち。何せ、演奏会をイッコも聞かずに終わった2015でしたしね。そりゃまあいいんだけど、クラシックのイベント・演奏会って、誰のためのものなんだろうと自問して、少しさみしい気持ちになったことだけは書き記しておこう。

ケフェレックは、年を追うごとに「知的なトーク」の力加減がほどよくなり、抑え気味にするぶん、関係者への御礼を必ず忘れないようにしていらっしゃるのが印象的でした。ルゲは、何せ私はルヴィエのクラスで彼女がおさげでワンピース着たローティーンだった頃から知ってるからさ。人間の性格とか本質、あるいは知性とか。あの頃からかわいいひとだったが、いずれにせよ人って変わらないなあ、と。デゼールは忙しいなかでどれだけ誠実に音楽と聴衆、そして自分自身に向きあっていくかというスタイルがクリア。忙しさのバロメーターって、誰がどうやって決めるんだろう……というようなことも、ふと考えさせられた。同時に、フランスだけではなく、ロシアで学ぶとああいう教え方になるのか、とも。アプローチがフレンチスクールというよりは、あきらかにロシアンですね。亡くなったブリジット・エンゲラーに比べると、彼女らしい硬質な繊細さがきわだっているのが「独自スタイル」というか「人間性」というか。クレールは、昔から、レッスンするのは好きだけど人前でしゃべったりマスタークラスイベントは苦手だと言っていて、もちろんあの人たちは一流のプロですから「苦手」というのは、あくまで自分の心のバリアのことであり、苦手意識を持っているにせよ、仕事は一流。ただ、たくさんのタスクに追われたり、忙殺されるときほど、苦手意識がストレスとなって自分をボロボロにしかねないわけで、じゃあ、やってる仕事はまったく異なるジャンルだけど、同じような「マイペース」を大事にする1人の人間として、自分はどうやってこれからの人生に向きあっていくのがいいのかな、とも。レッスンの通訳をたくさん積み重ねていくと、いろんな人に共感して、そのことで自分の行くべき道がクリアに見えてくることも……この年齢になってみて、そういうことが前よりも増えてきたね。

そして今年は3日間、続けてレッスン通訳させてもらったシュトロッセ。私にとって、シュトロッセは「彼が師事した名師匠たちの音楽性の上澄み」を上手に自分のなかで熟成させている@現在進行形の人。演奏については、まだあんまり手放しで共感!というタイプではないけれど。でも、これからが楽しみ、なんて言うと傲慢かね。で、こう書きながら、日本語で書くと傲慢に見えちゃうんだよね、とも。そこのあたりも、言葉を使う仕事人として、今後の課題。

コルボとペヌティエは、レッスンではなくトークの1時間。あれは別の枠の中でやってほしかった気もするけれど、あのサイズの会場で、通訳も他の誰でもない、私(笑)を押さえておくには……というコーディネイトする側の意図が働いたのでしょう(と都合良く解釈)。そのへん、あのイベントの担当者さんは凄腕ですから。それはそれでありがたいことです。

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2015/05/07

自分のため。そして誰かのため。

いまやってる朝の連ドラ「まれ」は、かなり楽しみに毎朝みております。何がいいって、オープニング曲がね。しばらくずっと女性のソロボーカルが続いた気がするけど、日本のポップスの女性シンガーって、たいていワタクシ苦手でね。ちょっと聞いて「いい声」とか聞き流すくらいならいいけど、毎日きいてると「この日本語唱歌はイヤ」とか、端的にいうと「ヘタ!」とね。あくまで好みの問題ではござるよ。でも、精神衛生上あまりによろしくないタイプの主題歌が続いてね。自分が子どもだった頃のアニソンスタイルとかならまだしも。

という、歌謡曲批判をするつもりじゃなかった。

今週、主人公のおばあちゃん役で草笛光子さんが登場。役名がロベール幸枝ちゃん。いい演技だと、思うよ、うん。かつてカーネーションで主人公が高齢になってからを夏木マリが演じて、カッコいいなと思った。あれとはまた少し違うアプローチだけれど、仕事をやりぬいた女性ならではの女らしさ。アクティブで切れ味するどい。けれども、貪欲な自分を苦笑しながら受けいれ、社会の中でのポジショニングを摸索してきたというバランスを意識させる演技づくり。

で、幸枝ちゃんの名台詞。パティシエとしての生き方を選びとったことでのことば。「喜ぶ人たちの笑顔が見たいから……なんてことを言う連中はあっという間に脱落していなくなる。世界一のお菓子を作りたい。自分を喜ばせたい。自分のためだと思ってやってきた」だったかな。

そうなのよ。人のためなんて、おためごかしで本物ができあがる試しはない。自分のため。

だけど、それだけだと上手く行かない場面も人生では必ず巡ってくる。だから、誰かのためと、自分が大切に思っているひとの顔を思い浮かべることができるようにしておこう。どんだけ「自分」で、どんだけ欲張りなんだってことだけど。

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2015/04/11

ぶらあぼの記事

波多野睦美さんのバルバラ公演@王子ホール。
紹介記事をピックアップ。

波多野睦美、バルバラを歌う

ありがとうございます。

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2015/04/08

バルバラ

仕事の記録。
まだまだ現在進行形です。

ありがたいことに(というか恐ろしいことに)チケットはとっくに完売しております。なので、こうしてお知らせしたところで、ご存じなかったかたに聴きに来ていただくこともできず、申し訳ないなあと思いつつ。

波多野睦美、バルバラを歌う

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2015/01/10

原点

謹賀新年。

さて、久しぶりにココログで何か書いてみようと思いました。タイトルを「原点」として、そうなると自動的に「原点に還る」としたくなった。ま、考えてみれば、還るもナニも。私はいつだってそこにいた。いまだって立ち位置そのものはたいして変わっていない。何か変化があるとすれば、それは私自身の意識の持ち方だけ。

ふと気づいたんですよ。
自分にとっての「意識をクリアにするためのきっかけ」「分岐点」となった出会い。イベントというのか。いつの間にか10年の刻みを通過していたなあって。

これです。2004年11月28日。ジャン=ギアン・ケラス公開マスタークラス

この直前だったかに、私はピアノ弾くのを完全にリタイアして、そのまえから通訳仕事も「音楽系」はいったんほぼシャットアウトして、演奏会にも行かず、音楽を聴くこともやめた。文芸翻訳一本だけでやっていこうと決めた。だから、ありがたくも通訳仕事のご依頼があっても、引き受けなかった。例外が浜松ピアノアカデミーを始めとする自分の師匠ずの通訳。この関連で、敬愛するミシェル・ベロフさんと出会えた。それはまあいまは別の話。

ケラスの通訳を引き受ける前に、パリ時代の仲間である多美さんからの紹介ということで、感じのいい女性の声で通訳をお願いしたいという電話が何度かあってですね。最初も二回目も、そして三回目も、フレンチスピーキングのアーティストだったけど、ケラスじゃなかった。ふつう、こんなふうにおことわり続ければ、たいていの依頼主は「こんなアテにならない通訳、もう二度と連絡しない」と見切りをつける。実際、そういう事務所はたくさんあったのよ。ところが、その女性は懲りずに何度も「ではまたの機会にはぜひ」と電話をかけてくる。

しまいには根負け……というか、面白くなったのね。そこまで私を見こんでくださるなんて、なんて物好きなひとなんだろうって。で、引き受けた仕事がこの公開レッスンの通訳だったわけ。

レッスンがまた、楽しくってね。いまでは「優れた奏者はそれがあたりまえ」と思えるくらい、すてきなひとの通訳をたくさんやらせてもらったから「当然じゃ~ん」と笑っちゃいそうだけど。ともかくケラスも、こちらの反応や生徒さんの反応を見て、どんどんとレッスンの表現や内容を進化させる。そのリアルタイムの「流れの作り方」のみごとなことときたら! 音楽家って「ただ楽器を弾くのが上手い人たち」と思われがちだけど、要は舞台で「何を」「どう」伝えるかをそれまでの人生すべてを賭けて磨き抜いてきた生え抜きのアーティストのことだから。

レッスン終わるなり、ケラスが大興奮でまっさきにマネジャーさん(私に電話してきた物数奇なかた)に向かって、彼女(と私を指して)の日本語がいわゆる通訳として厳密な意味でどこまで自分の言葉と一致しているか、そんなことはどうでもいい、このひとにこれからはすべて自分の通訳をまかせたい。自分のクラスでレッスンしているときでさえ、こんなふうにダイナミックに「言いたいこと」が生徒に伝わっているという手ごたえはめったにない、と。

そこまで言ってもらったら、イヤも何も……もともとレッスン聴講するのは三度の飯より好きだった私。通訳するって、協奏曲のソリストやるのと同じか、それ以上の「特等席」をもらえるってことだ。

それが私の音楽通訳の事始めだった。ちょうど10年。ひとつの区切り。

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2014/08/23

大学で教えるようになったらそれは「もう終わっている」。

今週、ふと目について気になった記事を二本。

上野学園大学の音楽部についての記事
桐朋学園大学音楽部の新キャンパス

ま、どちらも広報というか、宣伝記事ですね。
桐朋は私の母校です。そして、上野学園大学については、記事でも触れている辻井くんが師事した(たぶん複数の先生のレッスンを受けられたはずですが)教授は知りあいというか、パリでの同門の横山ゆっきーであったり、他にもたくさんの友人が勤務している音大だという認識。

音楽学校がこういうプレスリリース活動をするようになったのって、たぶん最近のこと。桐朋の場合だと、学長がジャーナリズム(文筆業、音楽評論、詩作)のひととなって、その前後からにわかに新しいことを解禁、始めようとしている印象があります。上野学園は上述の横山先生(^_^)を迎えたあたりから、話題性のある活動を率先しておこなうようになった……というと、昔からのことをご存じのかたたちからは異論があるかもしれませんが、外部から見ると「そんな感じ」というと、ざっくりまとめすぎかしらん。

同時に、音楽学校に果たしてこういう広報活動がどれくらい必要なのか、ということもツレヅレに考えてみたくなるわけです。私の持論として、いろんな人材が出たり入ったり、内容の密度やクオリティが世代交代に応じて波のようにあがったりさがったり……という面において、音楽学校経営はオーケストラの経営とよく似ている。ただの思いつきですけどね。で、風通しの良さとか、外部と内部の「ほどよい壁の作り方」とかね。気持ちの良い職場環境とか。古楽ルネッサンスの「楽しいさきがけ」の流れをつくったクイケン兄弟の言葉として、学校で教えるようになったら、そのジャンルは「もう終わっている・かもしれない」という見識もある。

いろんなものをバランスよく……と思います。
まとまりがつかないままですが、とりあえずメモっておきたかったので、以上、走り書きでした。

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2014/08/12

ロビン・ウィリアムズが!

米俳優、ロビン・ウィリアムズ自殺か

ネットを見ていると、こういうニュースは早いですね。
大好きなコメディアンだったのでショックです。が、ファンだからこそ……というと我ながら傲慢な言い方かな、と思いつつ、驚かなかった自分にため息というか。

死にたいと思う人ほど、実は生きることへのエネルギーや憧憬が強い。あるいは、才能ある人ほど、自分で自分をしばって、アクセルとブレーキをフルスロットルで限界を超えた負荷をかけて生きねば……と思いがちなんだよね。

生きることにも死ぬことにも、もしかするとたいした理由は必要ない。けど、生きているということだけでも、ある意味では奇跡であり、この宇宙から与えられた得がたい贈り物なのだ、と。できることなら、今日生かしてもらっていることに、日々あたらしく感謝して生きていきたい。けれども、もうダメだとリタイヤを決めてしまう人も、もしかするとほんのちょっとした加減で思い直して、そこから生き生きとした命を最後までまっとうしたかもしれないのよね。どこかでバカになるスイッチを自分のなかにキープして、ありもしない理想で自分をいじめすぎないこと。他にもいろんなことを書いておきたいけど、いくら言葉にしても、だからなに……という面もあり、そしてそういう面をあるときは尊重しないといけない、とも思うしね。

たくさんの素晴らしい仕事を残してくれたひとに感謝を。

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